かつてJリーグにいた「浪速の黒豹」パトリック・エムボマ。今でも記憶に残っている日本人選手とは? (2ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

レオナルドから「もしもし」を教わった

「日本に来る前、当時のパリSGにはレオナルド(ブラジル)やジョージ・ウェア(リベリア)など、すばらしい選手たちが所属していて、私は彼らからいろんなアドバイスをもらって学ばせてもらっている時期でした。

 日本でプレー経験があるレオナルドからは『日本でぜひ頑張って』と声をかけてもらえました。また、日本語ではじめて『もしもし』を教わったのも彼からです(笑)。当時のパリSGの社長からも『日本で頑張れば、君なら大丈夫だ』と激励を受け、なにも心配することなく日本に来たのを覚えています」

 その言葉どおり1997年Jリーグ1stステージ開幕戦、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)を相手に今でも語り継がれる伝説のボレーシュートを決めると、リーグ28試合で25得点を挙げて得点王となった。

1997年にJリーグでプレーした頃のエムボマ photo by Getty Images1997年にJリーグでプレーした頃のエムボマ photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る「日本ではたくさん試合をして、ゴールもたくさん決めてきましたが、あの万博(記念競技場)でのデビュー戦のゴールがもっとも印象に残っています」

 浮き上がったボールを2タッチのリフティングで背面へ打ち上げ、振り向きざまに左足のボレーシュート。デビュー戦で見せつけた異次元のスーパープレーは、日本のサッカーファンの記憶に深く刻まれた。今見ても色褪せないほど、正真正銘のスーパーゴールである。

 そのゴールで自信を掴んだエムボマは、開幕3試合連続ゴールを記録するなど、手がつけられなかった。

 そして翌シーズン途中にイタリアのカリアリへ移籍。再びヨーロッパへ活躍の場を移した。得点王となったあのシーズンは、エムボマにとってどんな意味があったのか。

「選手として、あるいは人間として、そして家族にとってもあのシーズンは特別な意味を持っています。パリSGからガンバへ移籍する時、周りには『日本へ行くなんて、お前のキャリアはもう終わった』と言う人もいました。

 でもJリーグで得点王となり、それが自信となって、カメルーン代表でも得点王という実績がいい影響をもたらしてくれました。結果として、本当にすばらしいキャリアとなりました」

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