森脇良太「俺、もう無理っす」から愛媛FCに15年ぶりの復帰。「もとはネガティブ」な男はなぜムードメーカーになったのか

  • 寺下友徳●取材・文 text by Terashita Tomonori
  • photo by ©EHIMEFC, Terashita Tomonori

サッカーJ3リーグの2022シーズンが開幕した。J2への昇格権2枠をかけて18チームが集うなか、注目選手のひとりとして挙げられるのが、愛媛FCに新加入した森脇良太(35歳)だ。サンフレッチェ広島、浦和レッズ、京都サンガ、さらに日本代表で「ムードメーカー役」を務めてきた森脇は、2006〜2007年に愛媛FCに在籍しており今年15年ぶりの復帰となった。愛媛FCは昨年、J2を20位で終えてJ3降格。はたして森脇は、Jリーグ参戦17年で初めてJ3を戦うチームの救世主となれるのか。15年前の森脇の"番記者"だった筆者が、本人へのロングインタビューを交えてムードメーカーの「真実」を記す。

15年ぶりの愛媛FC復帰となった森脇良太©EHIMEFC15年ぶりの愛媛FC復帰となった森脇良太©EHIMEFCこの記事に関連する写真を見る

本来、「ネガティブ」な森脇良太という人間

「俺、もうダメっす」

 ネガティブなこの言葉の主は、意外にも、森脇良太だった。「ウザい」と苦笑いされるほど「スーパーポジティブ」なムードメーカーであるJリーガーである。

 2005年にサンフレッチェ広島ユースからJ1・サンフレッチェ広島に昇格もわずか1年で当時J2の愛媛FCに期限付き移籍し、2006〜2007年を過ごした。当時は、前向きな発言だけをする男ではなかった。

「当時は危機感ありまくりでした。ジュニアユース(サンフレッチェ広島びんご)時代からサンフレッチェ広島にお世話になって、自分が活躍することがクラブや家族にとって恩返しになるし、自分にとってもハッピーだと思っていたのに、2005年のルーキーイヤーはナビスコカップ(現:ルヴァンカップ)の川崎フロンターレ戦に出てズタボロにやられたあとは、自分のチャンスは0。契約更新時に愛媛FCへの移籍を打診された時の率直な感想は『プロ1年目で戦力外か』。一日中、落ち込んでいたのが正直なところです」

「悔しい。見返してやる」との思いを心に秘め、髙萩洋次郎(現:FC東京)ら多くの"広島ユースっ子"たちとともに向かった愛媛の地。ここでの2年間を森脇はこう振り返る。

「土のグラウンドで練習したり、ひとつのストレッチポールを借り合って使うこともありましたけど、サッカーを毎日できる楽しさや、観客の前でプレーして勝つことのうれしさ、サッカーのすべてを教わることができた」

 そんな森脇が一貫して示し続けたのは「アグレッシブ」と、松山市を舞台にした夏目漱石の小説『坊っちゃん』の冒頭のような「無鉄砲」との二面性であった。

 プラスに働けば、徳島ヴォルティスとの「四国ダービー」で右サイドバックの位置から駆け上がりゴールを奪って見せるが、余計なラフプレーと暴言で警告を受けることもたびたび。2007年のJ2リーグ終盤には、途中出場でシーズン8枚目の警告を受け、望月一仁監督(当時)から2試合の出場停止に加え、3試合ベンチ外のお灸をすえられたこともあった。冒頭の発言はその時、愛媛FC番記者だった筆者に向けられた弱音である。

「感情の起伏は本当に激しかったですね。モチさん(望月監督)にもたくさん迷惑をかけました。けど、モチさんには狭いスペースでの1対1、2対1のトレーニングバトルなどで、"球際で戦う"サッカーの本質を教えてもらった。モチさんがいなければここまで長くサッカーはできていなかったし、恩人のひとりですね」

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