Jリーグバブルから30年。伝説の開幕戦を率いた両監督が語る日本サッカーの今後の課題「ものすごく不安」な点もある (5ページ目)

  • 中山淳●構成 text by Nakayama Atsushi
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

---- 最後に、30周年を迎える今季のJリーグに期待したいことをお聞かせください。

清水 月並みなことを言えば、当然、今はコロナ禍なので、何事もなく無事にシーズンが終わることがまずは何よりの願いですよ。そのうえで、新しいスター選手が彗星の如く登場してほしいですね。

 それと、プロ野球の"ビッグボス"じゃないですけど、サッカー界にも世間を巻き込むくらいの個性的な監督が登場してほしい。周りからの風当りがいくら強かろうが、自分が信じた道を突き進むようなカリスマ性のある日本人監督が出てくれば、きっと新しいファンも食いついてくると思いますよ。

松木 先ほども言いましたけど、起こっている問題を解決するために、改めてヨーロッパや南米が経験してきたことをもう一度勉強する必要があると思います。そして、このままズルズルいくのではなくて、変えていく勇気を持つ必要がある。

 30年という節目を迎えた今、もう一度過去の歩みをおさらいして、何がよくて何が悪いのかを直視したうえで、変えなければいけないことは勇気を持って変えていく。これから先のJリーグを魅力的なリーグにしていくためには、変化が必要だと考えています。

 日本人は、うまくいかなかったら変えていく、ということがなかなかできない民族なのかもしれないけど、これは何も人命に関わるようなことではなくて、サッカーの話なんだから。別に失敗したって大きな問題にはならないし、また変えればいいという姿勢で思い切って改革に取り組んでほしいですね。

【profile】
松木安太郎(まつき・やすたろう)
1957年11月28日生まれ、東京都中央区出身。中学1年から読売サッカークラブに加わり、1973年にトップチーム昇格後、1990年に引退するまでリーグ戦269試合に出場する。日本代表ではサイドバックとして12試合0得点。引退後は読売クラブのコーチを務め、1993年に35歳の若さでヴェルディ川崎の監督に就任した。1998年にはセレッソ大阪、2001年には東京ヴェルディで指揮を揮う。現在はサッカー解説者として絶大な人気を誇る。

清水秀彦(しみず・ひでひこ)
1954年11月4日生まれ、東京都出身。浦和市立高→法政大を経て1977年に日産自動車サッカー部に入部。FWとMFでプレーして1988年に引退。引退後は横浜マリノスでヘッドコーチに就任し、1991年から1994年まで監督を務めた。1996年にはアビスパ福岡、1998年〜1999年は京都パープルサンガ、1999年〜2003年はベガルタ仙台で指揮を揮う。現在はサッカー解説業のかたわら、ジュニア世代の指導にもあたっている。

5 / 5

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る