「ストライカーとして死にかけていました」。ベガルタ仙台降格の陰に、FWとしての生き残りをかけて戦っていた男の葛藤 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Getty Images

【ストライカーとして生き残りをかけて】

「実はプレーを続けるなか、自分はFWなのに"ハードワークが評価されているな"とは感じていました。勝利して『ケイマンのおかげで助かったわ!』とチームメイトに言われると気分はよくて、それでいいんだ、と思っていたんです」

 富樫はそう言って、太い眉をひそめて続けた。

「でも、そのいい気分は"毒"でもあったというか......。出発点は、守備も点をとるための手段のひとつだったのに、献身性という言葉でまとめられてしまった。強い言葉で言えば、ストライカーとして死にかけていました。やっぱり、FWというポジションはゴールという数字で評価されるので」

 仙台移籍後、富樫は早速ストライカーとして開眼している。9月12日のガンバ大阪戦では勝利を呼び込む2得点。第31節の柏レイソル戦でも貴重な勝ち点をもたらすゴールを決めた。

「練習からどれだけ本気で挑めるか、試合と同じテンションで悔しがれるかっていう気持ちでやるようになりましたね」

 富樫は言う。

「今までは"いい動き出しをすれば、ボールは出てくる"と勝手に思っていました。でも実績を残してきたFWは、日頃から要求がすごいんですよ。味方が『うるせえ』って思うほどボールを要求しないと、本番で出してもらえない。『あんまり言うと気を悪くするかな』って、自分の場合、生来のお人よしが出そうになるんですけど、それはもうやめました」

 残留戦は、ストライカーとしての生き残りをかけた戦いでもあった。彼の活躍により、仙台は地道に勝ち点を積み重ね、わずかだが希望が見えていた。

「今は何が足りなくて、何をするべきか、わかってきました。遅いんですけどね(苦笑)。"あいつ、いったい何があったんだよ?"というくらい弾けられるようになりたいです。そのチャンスは見えてきたというか、少なくとも、今まで弾けられなかった理由はわかっています」

 結局、第36節の湘南ベルマーレ戦に敗れて降格は決まったが、富樫は孤軍奮闘していた。唯一、得点を予感させるプレーヤーだった。ヘディング、ボレー、どちらも可能性を感じさせた。

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