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阿部勇樹の引退で思い出す「多色ビブス練習」。オシムチルドレンは今、どうしているのか?

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

 浦和レッズの阿部勇樹が今シーズンかぎりで現役を引退する。J1リーグ最終節の名古屋グランパス戦では80分から途中出場し、歴代4位のJ1通算出場試合数を577に伸ばして幕引きとなった。

 ただし、2010年ワールドカップ南アフリカ大会で守備のキーマンとしてベスト16進出に貢献し、日本代表出場歴53試合を誇る名手の勇姿をピッチで見られる可能性はまだ残されている。浦和が天皇杯で勝ち上がっているため、12月12日に準決勝でセレッソ大阪と対戦。勝てば12月19日の天皇杯決勝戦で現役生活の大団円を迎えることになる。

阿部勇樹はオシム監督との出会いが大きな転機となった阿部勇樹はオシム監督との出会いが大きな転機となったこの記事に関連する写真を見る 24年におよぶ阿部のプロキャリアは、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)に所属していた16歳333日でJリーグデビューした1998年8月5日から始まる。だが、彼にとって大きな転機は、イビチャ・オシム元日本代表監督との出会いだろう。

 2003年にジェフの指揮官にオシム監督が就任すると、当時21歳の阿部はキャプテンに指名される。実力は一級品ながらも主軸になりきれていなかった阿部は、これを機に大きく飛躍。2007年に浦和へ移籍するまでチームの屋台骨を背負う存在へとなった。

 そのオシム監督が2006年7月に日本代表監督に就任すると、阿部も日本代表の主力に定着。オシム体制のほとんどの試合で3バックの右CBや4バックのCB、ボランチなどでスタメン起用された。さらに代表合宿では、オシム監督独自の『多色ビブス』練習の方法を説明する役割を任されるほど、厚い信頼を置かれた。

 この阿部をはじめ、ジェフや日本代表でオシム監督に見出された選手は数多い。そこで今回は日本代表の"オシムチルドレン"を振り返りたい。

 オシムジャパンはワールドカップ・ドイツ大会後の2006年7月末に発足し、オシム監督が病に倒れる2007年11月までの約1年5カ月続いた。その間に公式戦と親善試合で計20試合が行なわれたが、そのすべてでスタメン出場した唯一の選手が鈴木啓太(浦和)だった。

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オシムに心酔していた阿部勇樹。移籍についても「相談した」

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