Jリーグ史上最大の移籍失敗例。代表クラスの超大物がまさかの結果に【2020年度人気記事】
2020年度下半期(20年10月〜21年3月)にて、スポルティーバで反響の大きかった人気記事を再公開します(2月5日配信)。
Jリーグでは今季開幕を前に、移籍の動きが活発だ。なかでも、各クラブの主力級が新たな戦いの場を求めるケースが少なくない。
とはいえ、ときに「鳴り物入り」などと形容されるような大物選手の移籍であろうと、そのすべてがうまくいくわけではない。過去の実績から活躍が期待されながら、移籍先のクラブで思うような成績を上げられなかった選手も当然いる。
先日、当コラムでは移籍を機に復活を遂げた選手を何人か紹介したが(※2月2日配信。『柿谷曜一朗や齋藤学は蘇るか。J史に残る移籍で復活した名選手ベスト3』)、そのなかのひとり、大久保嘉人は移籍の"明"だけでなく、"暗"も知る選手である。
2013年にヴィッセル神戸から川崎フロンターレへと移籍したことをきっかけに、大久保がかつての輝きを取り戻したことは前に記した。移籍1年目の2013年は前年の4ゴールから26ゴールへと得点数を激増させ、得点王を獲得。以来、3年連続でJ1トップスコアラーの座を守り続けた。
ところが、川崎と蜜月の関係を築いたかに見えた大久保は2017年、FC東京への移籍を決断する。
前年の2016年にしても4年連続得点王こそ逃したものの、15ゴールを記録。川崎の得点源として重責を果たしていたが、史上初の3年連続得点王は安住の地にとどまることなく、新たな戦いの場を選択したのである。
しかし、この選択は結果的に裏目に出た。
FC東京が13位と低迷したシーズンで、大久保自身も8ゴールしか挙げられず、ゴール数は前年からおよそ半減。翌2018年には川崎に出戻るが、わずか12試合出場2ゴールを記録するにとどまった。
自らの身を置く環境を変えることが、劇的なブレイクのきっかけとなりうることは確かだが、そこにはおそらく相性やタイミングといった不確定要素も関わってくる。大久保の歩みは、よくも悪くも移籍の怖さを雄弁に物語っている。
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