欧州でプレーする姿が見たかった。海を渡らなかったJリーガーたち (4ページ目)
規格外のスーパーゴールを何度も見せてくれた久保竜彦(2015年引退)も、海外リーグで見たかったストライカーだ。ゴール後に見せる頬をすぼめたひょっとこ顔でのタコ踊りが海外ではどんな反応をされたのか、今でも妄想してしまうほどだ。
『痛い!瞬間/久保竜彦−ケガと戦い続けた現役時代。諦めたW杯と海外挑戦』(週刊ポスト2020年12月11日号)によれば、久保自身が「ロシアやベルギーからオファーがあった」と答えている。ただ、すでに持病の腰痛とひざ痛が悪化し、日常生活にも支障をきたしていたなかでは考えられなかったことだと、記事では振り返っている。
日本人選手の海外挑戦を振り返ると、大きなターニングポイントと言える出来事のひとつは、中田英寿のセリエAペルージャへの移籍だろう。デビュー戦でいきなりユベントスから2ゴールを奪い、日本人が海外でも通用するという可能性を見出してくれた。
その中田とともにU−17、U−20、アトランタ五輪に"飛び級"で代表入りしたDF松田直樹(2011年没・享年34歳)も、海外リーグで見たかった選手だ。
◆次のオルンガを探せ!「未知なる」新助っ人ストライカーたちの実力は?>>
高卒1年目ながら横浜マリノス(現F・マリノス)で開幕スタメンを奪取し、2002年の日韓W杯ではトルシエジャパンのフラットスリーの一角として全試合にフル出場。2003年、2004年は横浜FMでチームキャプテンとしてJリーグ2連覇を達成した。
名実ともに日本を代表するDFに成長したこの頃は海外移籍を意識し、イタリア人代理人がセリエAへの売り込みに動いていたという。だが、故障の多さに泣かされて実現には至らなかった。
そして最後は、田中マルクス闘莉王を挙げたい。ブラジル生まれで、千葉県の渋谷幕張高入学と同時に来日。高校卒業した2001年にサンフレッチェ広島でプロキャリアをスタートさせたが、意外なことにプロとしては日本以外のプレー経験はない。海は渡ってきたのだが、サッカーキャリアとして海は渡らなかった。
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