Jリーグを盛り上げてきた旧ユーゴ系監督。全員、記者会見が強烈だ (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by Getty Images

 ドラガン・ストイコビッチ(J1通算103勝)は、旧ユーゴスラビア諸国出身の監督にしては、口数が少ないほうだったが、辛辣なことを言ってみたり、ジョークを言ってみたりと、やはり話は面白い監督だった(ちなみに、ストイコビッチはオシムがイタリアW杯でユーゴスラビア代表監督だった時のチームの中心選手だ)。

 2012年に名古屋グランパスが、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)に出場した時のことだ。オーストラリアのチームとの試合で、名古屋が長めのいわゆる「深いパス」を使って、相手の守備ラインをうまく下げさせたので、試合後にそのことについて質問してみた。

「それは狙いだった」と説明してくれたのだが、記者会見が終わってからストイコビッチはわざわざ僕のところに歩み寄ってきて、スーツの内ポケットからメモ用紙を取り出したのだ。

「ほら、これが試合前に選手に指示を出すためにつくったメモだ。さっき言った内容が書いてある」と自慢げに見せて、ピクシーは茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべた。「たまたまうまくいったのではなく、本当に試合前から狙っていたんだゾ」と言いたかったのだろう。

 その英語のメモは、じつに几帳面で読みやすい文字で書かれていた。

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