Jリーグ史上最大の移籍失敗例。代表クラスの超大物がまさかの結果に (3ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by Kyodo News

 現在は将来有望な若い選手であればあるほど、海外クラブへ移籍してしまうことが多い。それを考えれば、これほどの大物移籍はこれから先ももう起こりえないかもしれない。当時23歳の前園の移籍金は、基準の満額で4.5億円。交渉の末、推定3.5億円の移籍金が動いたと言われている。

 だが、この世紀のビッグディールも、ふたを開けてみれば、期待を裏切る結果に終わった。

 Jリーグ初代王者となったヴェルディも、1996年の成績は7位止まり。J屈指の人気と実力を誇ったクラブは過渡期にあった。世代交代が必要なかつての王者にあって、前園はひと際大きな注目を集めたわけだが、彼がその期待に応えたとは言い難い。

 移籍1年目の1997年は28試合出場5ゴールと、数字のうえではまずまずの結果を残してはいる。だが、ヴェルディのさらなる低迷(1stステージ16位、2ndステージ12位)もあって、前園のプレー内容は低調なものに。その結果、日本代表からも遠ざかることになった前園は、同年に行なわれ、日本がワールドカップ初出場を決めることになるアジア最終予選にも出場することはなかった。

 結局、前園は翌1998年になっても調子が上向かないまま、シーズン途中に期限付き移籍でブラジルへ。破格の移籍金が動いた、Jリーグ史に残る大物移籍劇は、こうして寂しく幕が下ろされることになったのである。

 また、国内クラブ間での移籍ではなかったが、ブンデスリーガからJリーグへ復帰した高原直泰の移籍も、似たようなケースと言えるだろう。

 2006-2007シーズン、フランクフルトに所属していた高原は、ブンデスリーガでの自己最多となるシーズン11ゴールを記録し、まさに充実期を迎えていた。ときを同じくして、イビツァ・オシム監督が率いる日本代表でもエースストライカーとして活躍。2007年夏のアジアカップでは、別格の力を見せていた。

 そんな高原が2008年、Jリーグ復帰を決断。移籍先に選んだのが、浦和レッズだった。

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