Jリーグ史上最大の移籍失敗例。代表クラスの超大物がまさかの結果に (2ページ目)
時計の針をJリーグ草創期まで巻き戻せば、移籍の難しさを物語る、また別の事例に思い当たる。
それはすなわち、期待を大きく裏切った移籍の例であると同時に、Jリーグ史上最高の大物移籍だったと言ってもいい。
その大物選手とは、1996年当時の前園真聖。アトランタ五輪で活躍し、日本代表でも次代を担うエース候補として注目されていた前園は、いくつものCMに出演するなど、当時はサッカー界のみならず、日本を代表する有名アスリートとして絶大な人気を集めていた。
そんな前園は、所属クラブである横浜フリューゲルスとの間で契約交渉がまとまらず、退団が決定。進路が決まらないまま越年した結果、1997年1月、ようやくヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)への移籍が決まった。
Jリーグ史上最高の大型移籍と言えば、前園真聖(写真左)の移籍だろう 当時はまだ、国内移籍を制限するローカルルールが存在しており(日本サッカー協会が定める選手移籍規程により移籍金算出基準が決められており、契約満了時であっても、移籍元クラブは年俸と年齢で決まる移籍金を受け取る権利があった)、現在ほど選手の移籍が当たり前ではなかった時代である。
まして並みの選手ではなく、日本屈指のスター選手の移籍となると、それまでにまったくと言っていいほど前例がなかった。現在の日本代表選手に例えるなら、いまだ堂安律がガンバ大阪で、同じく冨安健洋がアビスパ福岡でプレーを続けていたとして、彼らが今季から鹿島アントラーズや名古屋グランパスへ移籍するようなものだろうか。
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