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三笘薫の「止められなかった」少年時代。相手監督もその才能に脱帽だった

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki

 今シーズンのJリーグで、もっともインパクトを残した選手は誰か? と問われたら、川崎フロンターレの三笘薫の名前を挙げる人も多いのではないだろうか。12月22日に行なわれた『Jリーグアウォーズ』ではベストイレブンに選ばれるとともに、最多得票を獲得。名実ともにリーグを代表する選手に上り詰めた。

三笘薫のジュニアユース時代。1対1の練習を繰り返し、ドリブルにこだわった ⒸKAWASAKI FRONTALE三笘薫のジュニアユース時代。1対1の練習を繰り返し、ドリブルにこだわった ⒸKAWASAKI FRONTALE 優勝した川崎において、背番号18の大卒ルーキーは異彩を放っていた。懐の深いボールキープ、足の長さを活かしたターン、変幻自在のドリブルで次々にチャンスをつくり、13得点、12アシスト。Jリーグの新人最多得点記録に並び、リーグ最多アシストを記録した。ルーキー離れした数字と言っていいだろう。

 地元・川崎が生んだニュースター、三笘薫はどのような少年だったのか? 川崎フロンターレのアカデミーダイレクターを務める後藤静臣氏の証言と共に、足跡をたどってみたい。

 三笘が川崎フロンターレのアカデミー(U-10)に加入したのは、9歳の時だった。小学4年生が中心となって選ばれるセレクションに、3年生で選ばれた。

「1期生として加入してきたのが三好康児(現・アントワープ/ベルギー)、板倉滉(現・フローニンゲン/オランダ)、岡田優希(町田ゼルビア)たちで、(三笘)薫は1つ下の学年でした。セレクションで見た時に、学年は1つ下でしたが、俊敏性があってドリブルも上手だったので、上の学年に混ざってもいけるだろうと思いました」(後藤氏、以下同)

 当時の監督は、フロンターレジュニアの黄金期をつくり上げた髙﨑康嗣氏(現・専修大学監督)、コーチは玉置晴一氏(現・U-15コーチ)が務めていた。ジュニアの練習場だった『フロンタウンさぎぬま』の支配人兼育成普及コーチを担当していた後藤氏は、5年生(U-11)を受け持っていた。

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