中村憲剛・独占インタビュー。「引退発表した今だから話せること」 (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 なぜなら、名古屋戦でお互いに真逆の感想を抱いていたからだ。鬼木監督は、名古屋戦で2アシストの活躍をした中村のプレーを見て、「もっとやりたい」と言うのではないかと感じていた。ここ数年での「引退」はあるだろうが、それはまだ先のこと......だと感じてもいた。

 一方で中村は、今シーズンのリーグで唯一負けた相手、そしてJリーグの連勝新記録がかかったこの大一番の名古屋戦でスタメンに抜擢され、その試合でチームの連勝を「11」に伸ばす貢献ができたことで、引退への決意はより固まった。だから、このタイミングで信頼する指揮官に伝えようと決意していた。

「同じ試合で、まったく逆の感想を抱いていたんですよね。きっと、そこは今も埋まっていないんじゃないかと思います」

 その後も、鬼木監督はことあるごとに「続ければいいじゃないか」「撤回してもいいんだぞ」と、声をかけてくれたという。

「本当にありがたいですよね。監督にそこまで言ってもらえるなんて。でも、会見でも言いましたけど、戦力のまま引退したいという目標がずっとあったんです。そこはずっと、自分のなかで曲がることはなかった。

 ずっとフロンターレでプレーしていたいけど、戦力にならないのであれば、自分のいる価値はない。だから、求められる選手のままでやめたかったんです」

 40歳での現役引退を決意したのは、5年前----35歳の誕生日を迎えた時だったという。妻である加奈子さんにだけ打ち明けていた。

 それは39歳になり最初の試合で、左ひざ前十字じん帯断裂という大ケガを負っても変わることがなければ、復帰して試合に出られるようになってからも変わることはなかった。

「これも今だから話せますけど、(昨年に)ルヴァンカップを獲ったあと、妻とは話していたんですよね。まだ全然プレーできている状態で、どうやって終わりの時を迎えるのかと。

 そしたら、誕生日の2日後の試合で前十字じん帯を断裂して。実は、その時はまともにプレーできる状態になっての復帰はできないんじゃないかと思ったんです。とくに手術した日なんて、ひざが痛すぎて、日常生活に戻ることすら考えることもできなかった。だからその時は、初めてネガティブな意味で『やっぱり(引退するのは)来年なんだな』って思いましたから。

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