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ジーコの兄が明かす、知られざる
鹿島改革の舞台裏。「日本が恋しい」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 たとえば相馬直樹。彼は代表でも多くの試合でプレーした本当に優秀な選手だ。左サイドでプレーしていたが、右利きで、いつも左から苦労してクロスをあげていた。だからある試合で、私はベンチから彼に、いつもクロスを上げる必要はないと叫んだ。他にも方法はあると。

『アメアサル!(相手を威嚇しろ)』

 クロスを出すふりをしろ、相手を驚かせろと言ったつもりだった。すると彼はDFを欺き、ドリブルでゴールに向かい、GKの不意を突いてシュートまで放った。相馬はジェイチーニョを掴みつつあった。そこで私はこうした部分をより発展させることに集中した。

 まずは何より選手たちのテクニックを磨いた。テクニックがなければどんなに頭で考えても実践することはできない。チームにはジーコ、アルシンド、カルロス・アウベルト・サントスの3人のブラジル人がいたので、彼らの力も借り、ひとりひとりに合った練習を見つけた。

 また、よりわかりやすいように、これらをまとめたマニュアルを作ることにした。もちろん鹿島のためであったが、長い目で見れば、それが将来の日本のサッカーのために役に立つと思った。

 まず私が原稿を書き、通訳が翻訳し、できた日本語のマニュアルを鹿島のトップに見せ、選手たちに配る了承を得た。クラブの幹部たちはマニュアルを認めただけではなく、何百部と印刷したいと申し出てくれた。アントラーズで働くすべてのスタッフにこのマニュアルを配りたいというのだ。実際、このマニュアルは鹿島に出入りするすべての人に配られた。彼らは、このマニュアルが日本人に新しい考え方をもたらし、読んだ人たちがよりクリエイティブなサッカーを目指せると信じていた。
 
 このマニュアルのおかげで私は大きな成果をあげることができた。そこに書かれた教えを選手たちが少しずつ理解してくれ、ピッチで実践してくれた。

 相馬の場合、通常の練習後に残り、私が考案した練習を実践してくれた。コーンを相手に、敵の虚をつくプレーを何百回と繰り返した。クロスと見せかけ、内に切り込んでいく。おかげで彼のプレーはいつも敵を脅すようになり、多くのチャンスを生み出せるようにになった。相馬は成長し、代表入りも果たし、多くのゴールを決めた。我々の努力が実ったのだ。

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