ジーコの兄が明かす、知られざる鹿島改革の舞台裏。「日本が恋しい」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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第11回エドゥ(後編)>>前編を読む

 弟ジーコの招きで来日したエドゥは、鹿島アントラーズの監督を務め、後にはジーコジャパンでテクニカルアドバイザーを務めた。「私がどんな足跡を日本サッカーに残したかを尋ねてくれて、感謝している。こうして日本のことを語れることが、私にとってどれだけ大事か、皆さんは想像もつかないかもしれない」と言うエドゥの話に耳を傾けよう。
          
ジーコジャパンでは日本代表のテクニカルアドバイザーを務めたエドゥ photo by Yamazoe Toshioジーコジャパンでは日本代表のテクニカルアドバイザーを務めたエドゥ photo by Yamazoe Toshio「私は決して日本のサッカーを変えに行ったわけではなかった。ただ、いくつかの日本のサッカー文化は変える必要があった。日本のサッカーを世界のトップクラスにまで導くことが我々の目標だったからだ。それが難しいのは覚悟の上だった。

 日本に行く前、多くの日系二世の友人から、日本人のメンタリティを学んだ。彼らは「何かをする時、目の前にふたつ以上の選択肢があると、日本人は居心地が悪くなる」と教えてくれた。実際、ピッチの中で、ボールを持って問題を打開しようとする時、選手たちは一番まっとうな解決法を使って答えを出したがった。私は、ブラジル人が使う、『マリーシアとは何か』『ジェイチーニョとは何か』を説明すること頃から始めたが、これはかなり難しい仕事だった。こうしたメンタリティを教えるのは簡単なことではない。もともと日本には存在しない考え方だからだ。

 マリーシアは狡猾という意味だ。日本人はこれを悪いことのように感じるようだが、世界で戦うには必要だ。一方、ジェイチーニョは『ダメでもどうにかかしてみせる』とでも説明しようか。たとえば『19時以降は入ってはいけません』と入り口に書いてあっても、誰も見てなければ構わないじゃないか、という精神だ。

 一般社会ではとんでもないことかもしれないが、サッカーの世界では決してネガティブなことではない。私は日本の選手たちにこのジェイチーニョを学んでほしかった。ピッチではもっと狡猾に、回答はひとつではなく、必ず解決策は見つけられるというメンタリティでプレーしてほしかった。

 しかし、これは簡単なことではなかった。日本人はいつも正しいこと、まっすぐなことを探す。また記憶すること、学ぶことが好きで、それを解決法に使う。だから私は自分の家に選手を集めて、レクチャーをする必要があった。

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