「練習が90分で終わるわけないだろ」。ヴェルディ監督が説く根性論 (4ページ目)

  • 会津泰成●文 text by Aizu Yasunari
  • 松岡健三郎●写真 photo by Matsuoka Kenzaburo

 この夏、ヴェルディが好調を維持した理由のひとつに、挫折を乗り越えてたくましく成長し、さらに、永井スタイルを理解した井上の貢献が大きかったことは誰もが認めるところだ。守備で競り負けない強さも備わり、永井も「うまいだけの潮音が強さを身につけて、相手から怖がられる嫌な選手になってきたのはうれしい」と話す。

 永井自身も、ヴェルディに入団した新人時代、すぐレギュラーの座をつかめたわけではない。同じポジションには日本サッカー界のレジェンド、ラモス瑠偉がいた。

 迎えた1993年のJリーグ開幕元年、日本中が注目したマリノスとの一戦では、新人ながらベンチ入りは果たしたものの出場機会は巡ってこなかった。日本代表に名を連ねる選手ばかりの当時のヴェルディでチャンスを掴むため、永井は、全体練習終了後も、先輩たちに隠れて練習し続けた。それは永井に限らず、現コーチの藤吉信次も同じで、当時のヴェルディで生き残った若手選手はサッカーに貪欲で、試合に出ることに飢えていたという。

「選手たちによく話すのは、黄金期のヴェルディは、みなサッカーが上手で、華麗で、派手で、そういうところばかりフォーカスされるけど、それだけではなくて、全員が間違いなく負けず嫌いでたくましかった、ということ。実はそれこそが強さの源だった。時代や状況が変わったとしても、そういうクラブの伝統、DNAは取り戻さなければいけないと思う」

 永井はサッカーの質にこだわり、緻密に構築した攻撃の「美しさ」と、時代錯誤と言われながらも根性論で精神を鍛えた「泥臭さ」を融合させ、新しい形のサッカーを目指し続けている。今は上位チームに対して、常に互角以上の攻撃的な戦いができるようになった。反面、引かれて守られた時は崩し切れず、下位チームに取りこぼす試合もある。それでも成果は数字としても現れ始めている。

 サッカーを芸術的な域まで高めて、スポーツという枠を超えたエンターテインメントとしてたくさんの人に感動を与えたい、というのが、永井の究極の目標である。そして、トップチームの監督という大役を任された瞬間から、観客が見ていない場所で、もがき苦しみ、心身ともに自らを限界まで追い込む覚悟を決めて今日まで戦ってきた。どれだけ批判を浴びようと、信念を曲げることはしない。リーグ戦もいよいよ折り返し。根に性を据えた永井ヴェルディのさらなる進化を見届けたい。

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