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福田正博が内田篤人に見た理想の日本人SB像。圧倒的な賢さの中身 (3ページ目)

  • text by Tsugane Ichiro
  • photo by Kishiku Torao

 もし内田が30歳を超えたくらいで故障とつき合っていくことになっていたら、若かった頃のトップフォームとはまた違う新たな自分のプレースタイルを模索し、それを受け入れてまだ現役をつづけていた可能性はあるだろう。

 だが実際の内田は、最終的には現状の自分を受け入れ、「自らの引き際を自分で決断できるタイミングで」という美学を貫いて引退を決めた。

 彼の切り拓いた道は、日本サッカーにとっては大きいものがあった。

 体格に恵まれていない日本人SBがヨーロッパでもプレーできることを、長友佑都(マルセイユ)と共に証明し、その後の酒井宏樹(マルセイユ)や酒井高徳(ヴィッセル神戸)の海外移籍にもつながった。

 SBとしての内田のすばらしさは、まずパスを受けた後にボールを置く場所にあった。相手に対してボールを晒して奪われる危険性を承知のうえで、攻撃的なプレーに移行しやすい場所に置いた。そして、戦況を判断して攻撃参加するタイミングもよかった。これは圧倒的な賢さがあればこそのプレーだった。

 日本代表では左SBの長友、右SBの内田というのが14年までのベストチョイスだったが、そのプレースタイルは好対照だった。

 左サイドで長友が激しくアップダウンを繰り返し、右サイドでは内田が状況を見ながら気の利いたプレーをする。その違いが当時の日本代表の魅力になっていた。

 今夏には室屋成がFC東京からハノーファーへと移籍したが、内田、長友、酒井宏樹、酒井高徳と、一時期はSBの人材に事欠かなかった日本代表も、いまではその勢いがなくなっている。

 引退後の内田が何をするかは聞いていないが、以前は「指導者には興味がない」と言っていた。だが、年齢を重ねていくと考えは変わるもの。少し休養したら、サッカー界に戻ってきてもらいたいと思う。

 CLでベスト4を経験した貴重な日本人として、彼にしか伝えられないものがある。それを後進にしっかりと伝えていってほしい。そして、いつの日か内田のようなすばらしい選手を育ててくれることを願っている。

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