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野獣エジムンドが日本を去った真相。
「今でも打ちのめされた気に...」 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 ヴェルディの幹部が思わず漏らした発言は翌日のブラジルの新聞の見出しに躍った。「エジムンドはいったい何をしているんだ?」。

 サッカーを離れた武勇伝も事欠かない。息子の誕生日のために借りてきたサーカスの猿に酒を飲ませて、動物愛護団体から訴えられた。リオのビーチで不法賭博をして逮捕されたこともある。

 ブラジルでのエジムンドの評価はこの言葉に要約される。

「確かにエジムンドには才能がある。しかし、もしもう少し頭を使えば、ブラジルを代表してW杯で3度プレーもできただろう......」

 エジムンドはブラジル代表として、1998年のフランス大会でしかプレーしていない。それもロナウドの控えだった。そしてそこにもいい思い出はない。

 今から数年前、私はエジムンドにインタビューをする機会を得たが、その中のこんな台詞が私の興味を引いた。1997年にロナウドを抑えブラジル最優秀選手になったことについて尋ねると、彼はこう答えたのだった。

「この年だけじゃない。俺は現役時代を通して、常にロナウドよりも上だった」

 彼は続ける。

「俺はいつもヤツよりいいプレーをしていた。決めてきたゴール数も俺はロナウドの倍近いし、ブラジルチャンピオンにも何度もなっている。ブラジルで得点王になることはとても難しい。ロナウドはブラジルでもプレーしたが、失敗した。彼と俺の唯一の違いは代表での成果だ。確かに名ゴールも決めてはいるが、ヤツのサッカーは......。ロマーリオが俺よりいいプレーをしたのは認める。ジーコ、リベリーノ、俺より優秀な選手はたくさんいる。だが、ロナウドだけは違う」

 エジムンドがここまでロナウドを否定する理由は、1998年のフランスW杯にある。決勝の前夜にロナウドは意識を失った。床に倒れたロナウドに最初に駆け寄ったのはエジムンドだった。倒れたロナウドは痙攣していたという。

 翌日、マリオ・ザガロ監督がロナウドの代わりにスタメンに選んだのもエジムンドだった。決勝を戦うストライカーとして、彼の名は正式に告知された。しかしロナウドはキックオフ45分前にスタジアムにやって来て、プレーさせてくれと頼み込んだ。ブラジルはFIFAに無理を通してメンバーを代え、エジムンドはキックオフ数分前にスタメンを降ろされた。

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