検索

ゴン中山が記録的ゴール量産。
結実したジュビロ磐田のパスサッカー (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by AFLO

無料会員限定記事

 名手たちがシンクロナイズする磐田の中盤。選手間の距離を短くして小さなゾーンをつくって中盤を制圧し、互いが"阿吽の呼吸"でカバーし合うと同時に、それぞれのストロングポイントを存分に発揮したのだ。これが世に言う「Nボックス」である。

「Nボックス」こそが、当時の磐田の強さの根源だったことは間違いない。言わば、第2次世界大戦前から長い時間をかけてパスサッカーを追求し続けてきた日本のサッカーの、一つの到達点だったと言ってもいいだろう。

 ただ、パスサッカーに優れたチームというのは、しばしば中盤でのボール回しに自らが酔ってしまうところがある。その点で、磐田がその強さを「結果」につなげられたのは、最強の中盤に加えて優れたストライカーが存在していたからだった。

 94年にJリーグに加盟する前から磐田の攻撃を引っ張ってきた中山雅史と、磐田の黄金時代に加入した高原直泰は、ともに日本を代表するストライカーだった。

全文記事を読むには

こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録より「集英社ID」にご登録ください。登録は無料です。

無料会員についての詳細はこちら

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る