誰もが認めた野洲高の天才は「『SLAM DUNK』の仙道タイプ」だった (2ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 野洲高の司令塔として攻撃を操ったのが、のちにプロ選手6名を輩出するタレント軍団(青木、楠神のほか、内野貴志/現MIOびわこ滋賀、乾貴士/現エイバル、田中雄大/現ブラウブリッツ秋田、荒堀謙次/元栃木SCなど)の中で10番を背負った、平原研だった。

 当時の平原のプレーは異次元だった。たとえば、高校サッカー選手権1回戦の修徳高校戦。青木のゴールをアシストしたプレーでは、相手ゴールに背を向けた状態で、右サイドにいる青木へヒールでパスを通している。修徳の選手は3人とも逆を突かれ、置き去りにされた。

 2回戦の四日市中央工業戦でも、乾のパスを受けた平原は、ダイレクトで右足のアウトサイドでパスを出し、青木のゴールをお膳立てしている。パスの技術、アイデアは高校生レベルを超えていた。

 青木は平原のことを、当時流行っていたマンガ『SLAM DUNK』の登場人物にたとえて言う。

「ケンは仙道(彰)タイプですね。天才です。四日市中央工業戦で僕が決めたシュートも、いつ僕のことを見たのかなと思うんですけど、名前を呼べばパスが来る。そんなパスはプロに入ってからでも受けたことがないですね。ピッチを上から見てるようでした」

 川崎やセレッソ大阪で活躍した楠神は、共にプレーするようになった中学時代から、絶大な信頼を寄せていたことを明かす。

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