2019.12.30

名将・小嶺忠敏は変化を恐れず。
選手に寄り添う指導で今年も全国へ

  • 松尾祐希●文 text by Matsuo Yuki

 生涯チャレンジ――。年齢を重ねても、情熱は尽きない。雨の日も風の日もグラウンドに顔を出し、寮に戻っても子どもたちと同じ時間をすごす。遠征があれば、行動を共にした。孫ほども歳は離れているが、関係ない。サッカーを通じ、人を育てる。74歳を迎えた長崎総合科学大学附属高校の小嶺忠敏監督が、今年も高校サッカー選手権の舞台に挑む。

長崎総科大附を率いる、小嶺忠敏監督 島原商高や国見高で一時代を築いた小嶺監督が、長崎総科大附高に関わり始めたのは今から12年前の2007年11月。V・ファーレン長崎で理事長の責務を全うする傍、大学の教授を努めていた縁で、無名だったサッカー部の総監督に着任した。そこからチームは、2012年に冬の選手権に初出場。

 そして、2015年9月に部の強化を図るべく、監督の座に就いた。監督を務めるのは国見高以来、じつに16年ぶり。だが、当時の小嶺監督は長く留まる考えではなく、就任当初は1年間の条件付きでオファーを快諾していた。それでも、周りの声に推され、前言を翻すことになる。

「学校や保護者などが、いい意味で少し厳しくして、リーダーシップを取ることを求めてくれた。僕は70歳ぐらいなのでやる気はなかったけど、『長年の経験を踏まえ、指導者がどうあるべきかを見せて欲しい』と言われたんです。なので、1年間だけやりましょうと。だけど、周りの人からもう少しやってくれと頼まれたんですよ」

 そこから本気の改革がスタートする。「本当はゆっくりしたいけど、やるからには本気でやらないといけない」(小嶺監督)。今まで以上の熱量でチームと向き合った。就任当初はサッカー部の活動は整備されておらず、練習環境はお世辞にも恵まれていたとは言い難い。それでも、選手を受け入れる土壌をつくるために奔走。形骸化していた朝練習も見直し、自らが先頭に立って指導に携わった。自らも選手と一緒に寮へ住み込んで、子どもたちに愛情を注いだ。進学を検討している生徒がいれば、自ら足を運んで言葉を交わした。