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名将・小嶺忠敏は変化を恐れず。
選手に寄り添う指導で今年も全国へ (3ページ目)

  • 松尾祐希●文 text by Matsuo Yuki

 そうなると、昔と同じように指導をしていても選手は伸びない。常に選手たちの気質を見ながら、それぞれにあった指導を行なう必要がある。

名将に鍛えられた「いまどき」の子どもたちが、全国の舞台に挑む名将に鍛えられた「いまどき」の子どもたちが、全国の舞台に挑む「時代にマッチしたモノを探さないといけない。たとえば、今の子どもたちは長嶋茂雄さんや釜本邦茂さんの現役時代を知らない。釜本さんがすごいシュートを打っていたと話しても、今の子は『何?』という感じになってしまう。なので、今の選手たちに伝わる事例を言わないといけない」

 もちろん、自立している選手もいるが、その割合は確実に減っている。だからこそ、小嶺監督は常に選手の動きをつぶさに見ているのだ。

 とくに今年は、例年以上に苦労したという。「国見時代を含めてもいちばん厳しい世代」だったため、チームづくりは難航した。9連覇を逃した県新人戦とインターハイ予選はベスト8で敗退。苦戦を強いられた理由は単純に実力不足もあったのだが、メンタルの弱さが成長の足枷となった。ただ、そこで匙を投げていては全国への挑戦権は勝ち取れない。

「今年は60回ぐらい鼻をへし折った。なので、ある程度は頑張れる子どもたちになって、1年間取り組んできたなかで走れるようにもなったと思う」

 小嶺監督は選手たちに寄り添い、膝を突き合わせた。毎週火曜日のフィジカルトレーニングでは、何かにつけて回避しようとしていた選手を根気強く指導。

「火曜日に走りの練習をすると決めていても、その当日に病院に行きますと言う子どもたちが多かったんです。わざとかはわからないけど、だから走りの日にちを変更したこともあった」

 一方で厳しい練習だけで選手たちが伸びないのもわかっていたため、今年は走りの量を減らして、ボールを使うメニューを増やしたという。

 酷評されてきたチームも、徐々に変化を見せる。夏以降はキャプテンのMF高武大也(3年)とエースのFW千葉翼(3年)を中心にまとまり、選手権予選ではタフなゲームを制して勝ち上がった。決勝ではかつて自身が率いた国見を撃破。春先から手を焼いた世代を一から鍛え、4年連続の全国舞台に挑む権利を勝ち取った。

 昭和、平成で日本一を勝ち取った小嶺監督が挑む令和最初の選手権。伝統のマンツーマンディフェンスや多様なシステムで相手の特徴を消すスタイルは継承しつつも、選手たちと柔軟な姿勢で向き合ってきた。古きよきものは残しながら、変化を恐れない。その意味を誰よりも知る名伯楽の挑戦はまだ終わらない。

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