14年前、全国制覇を果たした野洲のエースが高校で覚醒した理由 (4ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 テクニックとコンビネーションに自信を持っていた野洲高は、全国レベルの強豪と練習試合をしても、負けることがほとんどなかった。唯一、勝てなかったのがガンバ大阪ユースである。

 当時のガンバ大阪ユースには植田龍仁朗、安田理大、平井将生、横谷繁、伊藤博幹、岡本英也がいて、この6人はユースからトップチームに昇格。『G6』と呼ばれるタレント軍団を相手に「勝てはしなかったけど、毎回、6-5や7-4のような点の取り合いになっていました」という。

 全国的な知名度はないながらも、同世代のプロ予備軍と互角に渡り合っていた野洲高。中盤から前線の選手を野洲高メンバーで固めた滋賀県選抜は、9月の国体で千葉、群馬に次ぐ3位になった。この頃から、一部の高校サッカーファンの間から「野洲は強いらしい」という声が出始めた。

 青木たちが最高学年となって迎えた、全国高校サッカー選手権大会滋賀県予選では、準決勝で草津東、決勝で北大津を下して優勝。高校3年時に、ようやく全国への切符を手に入れた。

 そして迎えた、第84回全国高校サッカー選手権大会。「優勝することしか考えていなかった」(青木)という、野洲高の快進撃が始まった。

(つづく)

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