青山敏弘を救った本田圭佑という良薬。「特別なパワーをもらった」 (4ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • (株)サンエス秋田耕二●撮影 photo by Akita Koji

―― どんな話を?

青山 それは僕にとって宝物なので、ここではちょっと言えないですけど(笑)、どん底の状態にいたところを彼に救われたなって。本当に彼は、周りの人間をポジティブにすることができる大きな存在。あのタイミングで会えたことは、自分のキャリアにとって大きかったなと思います。

「(5月の)アウェーには絶対に行くから」とも話して、それがモチベーションや目標になった。残念ながら間に合いませんでしたけど、その目標のおかげで先につながっていったのかなって。

―― 5月22日のメルボルン・ビクトリーとのアウェーゲームには帯同できませんでしたが、5月末の広島ユースとの練習試合に出場し、6月8日のガンバ大阪との練習試合ではゴールも奪いました。公式戦復帰に着々と近づいていたこの時期の心境は?

青山 リバウンドしないように、少しずつ強度を上げながら、ゲームの出場時間を増やしながら、練習の内容を濃くしながら。本当に少しずつ、少しずつという感じでしたね。あの時期の自分にとって大事だったのは、(公式戦)復帰することだったので。

 ただ、復帰してみると、「スタートラインに過ぎないんだ」という感覚で。そこからどう(プレーの)クオリティを上げていくのか、どうフィジカルを上げていくのかを目指してきた。どんどん前進していくモードに入ったのかなって思います。

―― それで、沖縄SV戦で約半年ぶりに公式戦のピッチに立っても、「ついに戻ってきたぞ!」という感慨に浸ることがなかったわけですね。

青山 でもそれは、チームがレベルの高い競争とレベルの高い試合をして、いい結果を残していたことが大きくて。それを見ていて、「復帰することが一番じゃないな」と感じたんですよね。戻ってくるだけじゃ物足りない。

 やっぱり、みんなと対等にやれるくらいに戻りたかったし、最終的にはそれを越えるパフォーマンスと結果を出すことが目標。そう考えると、やるべきことがまだまだいっぱいある。だから、リハビリ中のこととか、今はもうあまり覚えてないんですよ、本当に(笑)。

(後編に続く)


【profile】
青山敏弘(あおやま・としひろ)
1986年2月22日生まれ、岡山県倉敷市出身。2004年、作陽高校からサンフレッチェ広島に入団。2006年から主力となり、2013年には日本代表デビューを果たす。広島を3度優勝に導き、2015年にはJリーグMVPを受賞。ポジション=MF。174cm、75kg。

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