中村俊輔の言葉に共感。那須大亮は常に「攻め」の決断を下してきた (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by ZUMA Press/AFLO

 事実、2013年に加入したレッズは、前年度にミハイロ・ペドロヴィッチ監督が就任し、5年ぶりとなるAFCチャンピオンズリーグ出場を決めるなど、組織としての結束力が高まっていたチーム状況にあったため、「そこに飛び込んでいく怖さはあった」と那須。2018年にヴィッセルへの移籍を決めた時も、自身が主戦場とするポジションには、前年度にレギュラーとして活躍した選手が存在した。それでも、"競争"に身を置くことに臆することはなかった。

「もちろん、移籍というのはオファーをもらわなければ成立しないものですが、オファーをいただいた際にはいつも......というか、30歳を過ぎてからの移籍はとくに選択肢の中から『どのチームがより競争できるか』に重きを置いて選んできました。

 当然、どこにいても競争は必ずあって、前の年にフルで試合に絡んだところで、翌年もポジションが保証されるなんてことはまずありません。でも、まっさらな競争に身をおくよりは、もともといたチームのほうが多少のアドバンテージはあるし、少なからず気心の知れた仲間もいる。そのほうが楽な面は間違いなくあると思います。

 ただ、それをわかったうえで、僕はより"競争"に身を置ける環境を選択してきました。それで、結果的に苦しむことになっても、得られるものはたくさんあるから」

 そんな選択をしてこられたのは、その時々でチームに在籍した同世代の仲間の存在が大きい。磐田の時は前田遼一(現FC岐阜)と駒野友一(現FC今治)、レッズの阿部勇樹、鈴木啓太(2015年引退)ら、近くで輝いている同期の存在はいつも自分を見つめ直す鏡になった。

「彼らの活躍に負けないように、『自分ももっと輝きたい』と思えたから、厳しくても"成長"できる可能性が高い選択をしてこられたんだと思います。と同時に、その時々で経験した移籍がどれも、確実に自分のメンタルを鍛え、成長させてくれたと思えるものであったことも、強気の選択をしてこられた理由かもしれない」

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