中村俊輔の言葉に共感。那須大亮は
常に「攻め」の決断を下してきた

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by ZUMA Press/AFLO

ベテランJリーガーの決断
~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第7回:那須大亮(ヴィッセル神戸)/後編

 2002年に横浜F・マリノスに加入して以来、さまざまなポジションを預かることでプレーの幅を広げ、成長を続けてきた那須大亮。その事実には手応えを得ていたものの、実は胸の奥ではいつも"葛藤"と戦っていたという。なぜなら彼は"スペシャルワン"のセンターバックに憧れていたからだ。

「スペシャルワン」のセンターバックに憧れていたという那須大亮「スペシャルワン」のセンターバックに憧れていたという那須大亮 だが現実的には、2009年から在籍したジュビロ磐田でも、2012年に在籍した柏レイソルでも、さらにその後、5年間にわたってキャリアを積み上げた浦和レッズでも、那須はいろんなポジションでキャリアを重ねていくことになる。

 なかでも、レイソルでの1年間は、センターバックに両サイドバック、ボランチと、より一層、ユーティリティにポジションを変えながらシーズンを過ごした。そのことへの葛藤もあり、この1年は今でも「キャリアの中で最も記憶に残るシーズン」として脳裏に刻まれているそうだ。

 その証拠に当時、自分と向き合うために日々感じたことを記していたサッカーノートには、その時の迷いや悩みが、ぎっしりと書きつけられているという。

「ネルシーニョ監督の、勝負にこだわる姿勢やプロフェッショナリズムにはすごく感銘を受けたし、学んだこともたくさんありました。でも、30代に突入し、キャリアの後半に差し掛かっていたこともあってか、メンタル的には一番苦しい時期を過ごした気もします。

 ただ、今となっては、あの時、立ち止まらずに前を向けたこと、その時を乗り越えられたことが、のちの自分の支えになった。そう考えても、あらためて『意味のない時間なんてない』と思える1年でした」

 加えて、コンスタントに試合に出場しながら、天皇杯決勝まで駒を進め、クラブ史上初の天皇杯優勝に貢献できた経験も自信になった。

 その後、那須は2013年にレッズへ、2018年にヴィッセル神戸への移籍を決断することになるのだが、実はレイソルに始まる30歳を超えての"移籍"に際し、彼は自身にある基準を設けるようになったと言う。

 それは、「より競争のあるチームを選ぶ」ということ。

 一般的には、30代に突入し、キャリアの後半に差し掛かるほど、より試合に出場できる可能性が高いクラブや、複数年契約を結んでくれるクラブ、というような"守り"の選択をしがちだ。だが、那須はあえて"攻め"の選択を心がけてきた。

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