プロ1年目。腐りかけた那須大亮を救った
中澤佑二や松田直樹らの言葉 (3ページ目)
「ヴェルディでは1年間を通してセンターバックをやらせてもらい、チームとしては降格してしまいましたが、個人的には手応えを感じられる1年を過ごせました。そのうえで翌年、ジュビロに移籍をし、1年目はセンターバックで、2年目は再びボランチを務めることが増えたんですけど、どこをやってもF・マリノス時代とはまったく違う感覚でプレーができたんです。しかも、チームで与えられた役割もあってのことですが、ボランチから攻撃に関わるようになるなど、プレーの幅を広げながらプレースタイルが出来上がっていく実感を持てた。
これは、マリノス時代にセンターバックやボランチ、左右サイドバックなどいろんなポジションを経験したことが大きかったと思います。とくに早野宏史監督体制では本当にいろんなポジションでプレーしましたが、そこで与えられる役割を丁寧にやり込んだ経験が、30歳を前にして、プレーの余裕や落ち着きにつながるようになった。
また、ジュビロでは2年目にキャプテンという大役も任されましたが、ゴンさん(中山雅史)やフクさん(福西崇史)ら経験豊富な選手が、僕に笑って言ってくれたんです。『キャプテンなんて、あってないようなものだから、何も気張る必要なんてないよ』と。そういう言葉に助けられて、自分らしく戦えた部分もあったと思います」
そんなふうに自身のプレーに手応えを感じていた一方で、実はその間も、那須はポジションへの葛藤は抱き続けていたそうだ。というより、フィードの正確性、対人の強さと言った持ち味への自信が深まるほど、「センターバックで勝負したい」という気持ちが強くなり、「ユーティリティであるがゆえの悩みを抱えることにもなった」と言う。
任されたポジションで求められる役割は、持ち味で勝負できることばかりではなく、だからこそ、必要な技術を習得しようとする努力によって得られる財産もあったが、それはある意味、"スペシャルワン"に憧れた彼の理想とは相反するものだった。
「プロとして『試合に出てナンボだ』という考えに変わりはないので、たとえ本意ではないポジションで使われても不満はなく、そこで違いを出そうとか、監督に求められる以上のものを表現しなければいけないという自覚はありました。そのために、ポジションに応じた自分なりの"色"を探し、それで勝負することをいつも心掛けていました。
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