2019.02.08

07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。
「言わないと一生後悔する」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • 松岡健三郎/アフロ●写真 photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO

★日本サッカーを救った男の現在地 前編 

 カマタマーレ讃岐が使用する高松市東部運動公園サッカー場には、2月の寒風がすさぶ中でも熱心なサポーターたちが練習を見学するためにやって来る。若い広報のスタッフはそんな顔が見える度、丁寧にあいさつをする。サポーターとチームスタッフとの距離の近さと信頼が垣間見える。彼がこのチームに来たのはまだ半年前である。サッカーの仕事をしたいということで大阪から讃岐にやって来たのだ。選手との初めての顔合わせの際は緊張したが、その中で最も気さくに接してくれたのが、ベテランの我那覇和樹(38歳)だった。

 世代的に言えば、代表戦をテレビで観ていた中学生時代、我那覇にはサウジアラビア戦でゴールを決めた男として強烈な印象が今でもある。その華やかなイメージがあったのだが、スタッフやサポーターへの気遣いをいつも忘れない謙虚な態度に感銘を受けたという。

現在はカマタマーレ讃岐に所属し、今年で6年目を迎える我那覇和樹 2006年、オシムジャパン始動の年。日本代表の先発FWにはこの年、Jリーグで日本人選手最多の18ゴールを上げた我那覇がいた。特筆すべきはそのシュート決定率で、52本のシュートを打っての18点は約35%。これは、当時の得点王だったワシントン(浦和レッズ)、マグノ・アウベス(ガンバ大阪)を抑えてリーグトップだった。日本サッカー界で長く叫ばれてきた決定力不足は我那覇の登場によって解決されるのではないか。若い広報氏が鮮明に記憶している11月に行なわれたアジアカップ最終予選サウジアラビア戦で2ゴールを上げた活躍は、まさにその期待を高めるに十分なものであった。

 しかし、その広報氏にしても翌2007年に我那覇の身に起きたドーピング冤罪事件についてはほとんど詳細を知らないという。すでに12年が経過して風化しようとしているのか。

 ならば、2019年シーズン開幕を控え、すべてのサッカー人に報せておきたい。今、J3の讃岐で「年上の選手が態度で示さなければいけない」と黙々とトレーニングを続け、いつも笑みを絶やさずに周囲に気を配るこの男が何をもたらしてくれたのか。