田代有三が現役引退。「鹿島がなければ、プロ生活は5年で終わっていた」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

「僕が鹿島に加入したタイミングで、浩二さんは海外に移籍されていたので面識はまったくなかったんです。なのに、僕がケガをしたと知って、誰かから番号を聞いて電話をくれた。聞けば、浩二さんも2003年に僕と同じケガをしたらしく、その経験を踏まえて『僕と同じルートを辿れば、絶対に大丈夫だから、不安になるな』と。

 結局、僕も浩二さんと同じ先生に手術をしてもらい、そのあとのリハビリも浩二さんがつないでくれて、JISS(国立スポーツ科学センター)で受けられることになった。そのときに『鹿島ってすごいクラブだな』と。

 というのも、見ず知らずの後輩に遠い海外から電話をくれたのは、僕のことを心配する先に、クラブへの愛情があったからだと思うんです。そのことは、強烈に"鹿島アントラーズ"を実感する出来事でした」

 そこから約8カ月後、戦列復帰を果たした田代はプロ2年目の2006年、J1リーグ20試合に出場し、7得点と結果を残す。その活躍は翌年にも続いて、田代はこの年(2007年)、鹿島の6年ぶりとなるJ1リーグ制覇を経験した。

 これが、田代にとってふたつ目の忘れられない出来事であり、「現役生活の中で、一番うれしかったこと」としても刻まれている。

「たくさんのうれしい記憶の中で、プロになって初めてのJ1リーグ優勝は忘れられない、特別な記憶です。しかも、ほとんどの試合で先発して、第26節くらいから勝ち続けて、最終節で逆転優勝ですから。

 その勢いのままに天皇杯でも元日(の決勝)まで突っ走り、どのチームよりも長くサッカーをして、優勝を味わえた。あのうれしさは格別でした」

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