41歳。冨田大介はずっと目指してきた
日本代表を、なぜあきらめたのか (4ページ目)
そのなかで、「日本代表を目指すには、まずはJ1リーグでプレーすることが必要だ」と考えるようになった。そこで、2004年には大宮アルディージャへの移籍を決断。当時の大宮はJ2リーグを戦っていたとはいえ、「明確にJ1リーグを目指せるJ2クラブ」であることが決め手になった。
だが、皮肉にも自身が掲げた"日本代表"という目標に疑問を抱くようになったのは、移籍初年度にJ1リーグ昇格を決め、2005年から念願のJ1リーグでプレーするようになってからだ。大宮では毎年のようにコンスタントに試合に出場し続けていたが、当時、どれだけJ1リーグで経験を重ねても、"日本代表"に近づいているという実感は「持てなかった」と振り返る。
「J1でプレーするまでは、日本代表を自分の中で想像できていたのに、いざJ1でプレーするようになって、実際に日本代表クラスの選手のプレーを間近で体感するほど、自分の力不足を痛感させられたというか。今になって思えば、そこで自分に自信を持てていれば、もっとやれたこともあったんじゃないかと思うけど、当時は素直に自分の実力を受け止めすぎていたせいか、日本代表を現実的な目標には考えられなくなっていた。
しかも年を重ねるほど、日本代表への思いも薄れていき......そうこうしているうちに、30歳も過ぎて、あらためて考えたんです。僕はこの先、どんな気持ちで、何を目標にサッカーをするのか、と。
そのときに、自分の気持ちの真ん中にあったのが、『自分はもっとやれるんだということを証明したい』という思いでした。それが明確になってからは......結果的に僕は、2010年に(ヴィッセル)神戸に移籍して以降、ほぼ毎年、シーズンが終わるとトライアウトを受けてきたんですが、常にその気持ちに押されて現役を続けてきた気がします。で、気がついたら......なんと、41歳になっていました(笑)」
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