岩政大樹の移籍先は「アントラーズと対戦しないこと」を条件に考えた (2ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko   井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――その鹿島から獲得のオファーが届いたと。

「アントラーズから正式なオファーをいただいたのが大学(東京学芸大)4年の春だったんです。当時すでにいくつかのクラブからお話をもらっていましたけど、鹿島でやれるなら、鹿島だろうと」

――鹿島で試合に出れば、日本代表にも近づけるというようなイメージはありましたか?

「特にはないですね。代表のことはそんなに考えていなかった。大学時代の取材でも『鹿島で長く活躍できる選手になりたい』と話しています。鹿島というクラブ、そしてチームメイトから信頼を得て、いわゆるバンディエラ()と呼ばれるような選手になることが目標でした。もちろん、その先に代表があるのかなとボンヤリとは考えていたかもしれませんが、代表のことは僕にとってのメインターゲットではなかったですね」
※旗頭。同一のクラブで、象徴として長く活躍する選手

――そして、2004年に鹿島の一員となるわけですが、チームの雰囲気をどんなふうに感じていましたか?

「他のクラブをよく知っているわけではありませんが、いくつか練習参加したクラブと比べると、練習場やクラブハウス全体を包む空気が、少し重いなというのは感じました。そこには厳しさみたいなものがあって、ヘタなことはできないんだというふうに思いましたね。でも、違和感はなかった。僕はずっとサッカーを続けながら、自分に厳しさを課してきたので」

    ――岩政さんと入れ替わるように秋田豊さんが移籍。レギュラー獲得のチャンスが巡ってきたわけですが......。

「トニーニョ・セレーゾ監督も開幕から僕を使おうと考えていたようで、キャンプから主力組でプレーしていたんですが、なかなか僕のプレーがフィットせずに、監督は僕の起用を諦めたんです。『まあ、まだ1年目。加入したばかりだしな』という考えもありますが、掴めたであろうものを自ら手放してしまったという思いがしばらく残っていたんです。だから正直、焦りもありました」

――ファーストステージから、ベンチには入っていましたが、先発の座を手にしたのが、セカンドステージ第7節のFC東京戦ですね。

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