名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、内田篤人に渡した「2」への思い (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

    ――たとえば、名良橋さんが鹿島でプレーされていたとき、新井場徹さんが加入されました。チームに馴染めるよう、どのようなアドバイスをしましたか?

「していません(笑)。イバちゃんは僕のアドバイスは必要なかったと思います。というか、質問されれば、アドバイスはするけれど、こちらから何かを言うようなことはなかったですね。誰もがライバルですから。そんなお節介は焼きません(笑)。それでも、試合中に叱責されたり、練習中のチームメイトたちの要求を理解しながら、チームに馴染むことができる。

 実際、僕も本田(泰人)さんや秋田(豊)さんから、どんなに怒鳴られたか(笑)。『ナラ、今は上がるときじゃない!』とか。最初の1年はとにかく必死でしたからね。それが過ぎて気がつくと、馴染むことができる。結局、チームメイトに評価されなくては居場所を作れない。勝利に貢献することで初めて認めてもらえるんです」

――海外移籍といえば、内田篤人選手が帰国しました。

「最初の会見で『ジョルジーニョさんや名良橋晃さんがつけていた背番号を受け継いだ』というようなことを言ってくれたと聞いたときは、本当に嬉しかったですね(笑)。鼻高々でした」

――もともと背番号『2』は名良橋さんが、ジョルジーニョ選手から受け継いだものですね。

「はい。チームから『背番号2をつけてくれ』と言われたときは、驚きと喜びと同時に、怖さみたいなものがありました。その番号にふさわしい選手になれるのかと。そして、2007年に移籍するとき、僕からクラブへお願いしたんです。『この番号は篤人に渡したい』と。中途半端な選手にこの番号をつけてほしくはなかった。そう考えると、篤人がふさわしいと思ったんです。

 翌年、篤人はドイツへ移籍しましたが、そこで揉まれ、さらに2番を担うべき選手として成長し、戻ってきてくれた。本当に頼もしいし、楽しみです」

――理想の背番号2とはどのような選手ですか?

「ジョルジーニョは、その言葉でチームを動かすのではなく、プレーでチームを動かし、その佇まいでチームをまとめていた。プレーで魅せる選手でした。だから僕もそうなりたいと思い、日々を戦ってきました。(小笠原)満男を見ていると、そんなジョルジーニョの影響を色濃く受けたんだと思います」

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