移籍組の名良橋晃は「相手PKにガックリしただけで雷を落とされた」 (4ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

     ――1997年には、ワールドカップフランス大会出場権を獲得。その後、Jリーグではナビスコカップ決勝(11月22日、29日)とチャンピオンシップ(12月6日、13日)でジュビロ磐田と4連戦を戦いました。

「僕はナビスコカップ決勝第1戦(1-2、鹿島勝利)で退場してしまい、5-1で勝利して優勝を決めた第2戦には出場できなかった。"初タイトルを"と挑んだチャンピオンシップでは、第1戦を延長Vゴールで落としてしまい、カシマスタジアムでの第2戦では、81分にゴン(中山雅史)さんにゴールを許して、タイトルを逃してしまった。試合内容で圧倒しながらも、勝てなかったので本当に悔しかった。

その直後の天皇杯で優勝し、やっとタイトルを手にして、鹿島に恩返しできました」

――その年から、鹿島と磐田との2強時代が始まりました。

「ゴンさんと秋田(豊)さんをはじめ、各ポジションでバチバチの戦いを繰り広げていましたからね。あんな熾烈なカード、今ではあまりないかもしれませんね」

――2000年には三冠を達成しました。勝利にこだわる鹿島の姿勢を感じる試合として、印象に残っているものはありますか?

「2001年、ワールドカップ前に大きくなったカシマスタジアムのこけらおとしの試合ですね。(5月19日/第10節)柏戦だったんですが、2-2で迎えた延長戦、開始早々(延長前半5分)にPKを与えてしまったんです。そのとき、僕は内心『負けてしまった』と思ったんですが、ソガ(曽ヶ端準)がそれを止めてくれて、その直後(延長前半8分)に長谷川(祥之)さんのゴールが決まり、勝利しました。

 試合後にトニーニョ・セレーゾ監督から『PKを与えたとき、もうこれで試合が終わったような態度をした選手がいた』と雷を落とされた。僕のことです。そういう振る舞いをするだけで、チームに悪影響を与えると怒られたんです。最後の最後まで勝利を諦めるなということをつくづく思い知らされました。

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