大岩剛をコンバート。ベンゲルが
魔法をかけて、グランパスは変貌した
【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (5)】
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大岩剛のサッカー人生を変えたコンバート
左サイドバックが本職だった大岩剛(ごう)がセンターバックにコンバートされたのは、フランスキャンプを終え、6月7日に西京極で行なわれたパリ・サンジェルマンとのペプシカップの際だった。そのとき、大岩はアーセン・ベンゲルから何かを言われたわけではない。遠い記憶を引っ張り出すようにして、大岩は語る。
「試合前にセンターバックに入るように指示されただけ、だったと思います。そこで理由を説明されたわけではなかったし、僕から聞きに行くこともなかった。センターバックにケガ人が出ていたし、僕自身も試合に出られていなかったので、どのポジションだろうとやるしかない。そんな心境だったと思います」
コンバートされたセンターバックで頭角を現した大岩剛(右)photo by AFLO 清水商業高校から筑波大学に進学した大岩は、1995年に名古屋グランパスに加入した。
Jリーグでは当時、控えチームによるサテライトリーグが行なわれていた。そのため、クラブは2チームを編成できるだけの選手数を保有していて、ポジション争いは極めて熾烈(しれつ)を極めた。
「あの頃、グランパスには40人くらいの選手がいたのかな。左サイドバックだけでも小川(誠一)さん、小杉(敏之)さん、加藤(泰明)、津島(三敏)とたくさんいた。僕は大卒だったから即戦力というか、活躍するのが当たり前だと考えていたし、当時は水曜、土曜、水曜、土曜と、すぐに試合がやってきたから、とにかく必死でした」
大岩は、左サイドバックとしてガンバ大阪との開幕戦のスタメンの座を射止めたが、デビュー戦でプロの洗礼を浴びた。サッカー専門誌の採点で、10点満点で4点をつけられるほろ苦いデビューとなり、チームも1-3と完敗した。
「(セルゲイ)アレイニコフと(オレグ)プロタソフの旧ソ連代表コンビに、完膚なきまでにやられたのを覚えています」
その後、4試合連続でスタメンを飾ったが、チームは第4節の浦和レッズ戦で、PK戦の末に辛うじて勝利をもぎ取っただけ。大岩は次の試合から3試合続けてスタメンから外れたのちにスタメンに返り咲くが、グランパスは勝利から見放されたままだった。
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