大岩剛をコンバート。ベンゲルが魔法をかけて、グランパスは変貌した (2ページ目)
名門校を歩んできた大岩の目標は、常に優勝であり、全国制覇だった。負けに慣れていないサッカーエリートにとって、グランパスの現状には耐えがたいものがあった。
「チームが勝てないことにイライラしていたような気がします。そうしたら足首を痛めてしまって、自分が欠場してからチームが少し勝てるようになった。だから、ポジションを奪われるんじゃないか、そんな焦りもあったと思います」
現在、鹿島アントラーズの監督を務める大岩剛 photo by Murakami Shogo そうした状況で迎えたフランスキャンプだったため、大岩はコンバートを受け入れ、新ポジションでベストを尽くすしかなかった。
「やるしかない、っていう気持ちと、一方で、やれるんじゃないか、っていう根拠のない自信があったような記憶がありますね」
結果としてこのコンバートが、大岩のサッカー人生を大きく変えることになる。
FWを力ずくで押さえ込むのではなく、ポジショニングや駆け引き、読みで勝負する大岩にとって、エレガントにプレーするトーレスは理想的な存在だった。最高のお手本とコンビを組むことで才能が大きく開花し、攻撃の起点となれる現代的なセンターバックとして、大岩は息の長い選手になっていく。
「トーレスは本当に僕の師匠です。彼からセンターバックのすべてを学んだと言ってもいいですね。いつもトーレスを見て、真似していた。大げさに言えば、彼みたいになりたかったんです。あのとき、センターバックにコンバートされていなかったら、プロとしてどこまでやれたかわかりません」
大岩自身が言うように、その頃は平山大、森直樹と、センターバックに負傷者が出ていた。だがベンゲルは、その穴埋めのために大岩をコンバートしたわけではなかった。
大岩がベンゲルにコンバートの理由を聞いたのは、2011年に現役を退き、S級ライセンス取得のための研修でアーセナルを訪れたときだった。
「久しぶりにベンゲルと会っていろいろ話すなかで、理由を聞いてみたんです。そうしたら、『お前はサイドバックとしてはスプリント能力やスピードが足りなかった。でも、足下の技術があったし、視野も広い。だからセンターバックなら生きるんじゃないかと思ったんだ』って。それを聞いて、運がよかったと思いましたね。違う監督なら、サイドバック失格の時点で切られていたかもしれないから」
左サイドバックには、負傷のために序盤戦を棒に振った小川が収まった。こうして、のちに不動となる飯島寿久、トーレス、大岩、小川によるディフェンスラインが形成されたのである。
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