加地亮が28歳で日本代表を引退した真相。「自分が壊れてしまうと...」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by Koji Watanabe/Getty Images

 実際、嫁には『今、日本代表は右サイドバックが手薄だからチャンスだ』って言い続けていました(笑)。そしたら、本当に選出されて......となると『もっともっと』と欲が強くなり、その気持ちに背中を押されて、やることも、やりたいこともどんどん増えていった。そうした積み重ねが"結果"として表れ始めたことも、自信をより膨らませてくれたんだと思います」

 右肩上がりでの成長を続ける中で、再び新天地を求めたのが、2006年。移籍先は、ガンバ大阪だ。

 FC東京への移籍を決めたときと同様、「新たな環境で、新たな自分に出会うため」の決断だった。加えて、カウンター重視のFC東京とは対照的な、ガンバのテクニックを生かしたパスサッカー、攻撃サッカーに魅力を感じて移籍を決めた。

 そのガンバでの時間は、彼の予想を上回る、8年半もの月日を数えることになる。"理想の自分"になるのに、時間がかかったことがその理由だった。

「加入してすぐの年から試合に出してもらっていたけど、正直、ガンバのサッカーに入っていくのに、かなりの時間を要しました。というのも、当時のガンバには、ヤット(遠藤保仁)やフタ(二川孝広/東京ヴェルディ)、ミョウさん(明神智和/長野パルセイロ)やハッシー(橋本英郎/東京ヴェルディ)ら、センスの塊みたいな選手が集まっていましたからね。

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