阿部勇樹「すべてはレッズのため。レッズでサッカー人生を終わらせたい」 (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

 ちなみに、引退したあとの青写真は描いているのだろうか。解説者、指導者、クラブのフロント入り、あるいはタレントなど、いろいろな道がある。

「テレビ(の解説など)で話をするとか、1%も向いているとは思わないんで、進むなら指導者かな、と思っています。欧州でも有名なオシムさんをはじめ、ベルデニックやベングロシュ、それにミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)さんから教えてもらったものが自分の中で生きているし、大きな財産になっている。それを、どこかで生かしたいなっていう思いがあるし、伝えていかないといけないことかなって思っています」

 阿部が、選手として、またひとりの人間として、大きな影響を受けた指導者は、イビチャ・オシムである。千葉時代に21歳で主将に命じられ、チームをまとめていくうえではしんどい思いをしたが、その指導力と人間的な大きさに圧倒された。B級ライセンスを取得する際、練習メニューを組み立てるカリキュラムがあったが、そのときにもオシムの練習方法をベースに考えたという

「(B級ライセンス取得の際は)ちょうどオシムさんの練習のやり方が頭に残っていたんです。それに海外での練習をプラスして、自分なりに応用して練習メニューを作りました。オシムさんの練習は、本当にクタクタになるほどきつかった。特に(オシムが監督になった)1年目は、練習中、歩くことはなかったですからね。ひとつのグループが走っている間、もうひとつのグループはフルコートで5対5をやっていた。そうやって(千葉も)強くなっていったので、アメとムチをうまく使い分けながら、(自分も)オシムさんのような指導者になりたいですね」

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