伝説のジュビロN-BOXは、選手たちの
反発と戸惑いからスタートした

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

短期連載・今こそ「ジュビロ磐田のN-BOX」を考える(2)

(連載第1回から読む>>)

新システム実現のカギを握る男

 鈴木政一がジュビロ磐田の監督に就任した2000年9月、時を同じくして、名波浩が期限付き移籍していたセリエAのベネツィアから磐田に復帰した。

 順天堂大から1995年に磐田に加入した当初から確固たるサッカー観を備え、申し分のない攻撃センスとアイデアを誇っていた名波はプロ入り後、守備力やバランス感覚にも磨きをかけ、総合力の高いミッドフィールダーとして成長を遂げていく。

磐田の新システム「N-BOX」の核を担った名波 photo by AFLO磐田の新システム「N-BOX」の核を担った名波 photo by AFLO 名波の守備における成長を思うとき、鈴木の脳裏に浮かぶのは、ハンス・オフトの姿である。

「ドーハの悲劇」で知られる1993年秋のW杯予選において日本代表を率いた指揮官で、1994年から3年間、磐田の監督を務めたオフトは、攻撃的ミッドフィールダーとして加入した名波を公式戦で何度か左サイドバックとして起用した。

「ハンスが名波を呼んで『これからは守備を覚えなきゃダメだ』と言ったんです。当時、メディアから『なんで名波がサイドバックなのか』と叩かれたこともあった。でも、名波はあれで守備を覚えた。そうしたら......」

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