【育将・今西和男】小林伸二「ストライカー育成法の原点は『広島』にある」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

 僕は一応高校でも大学でも日本でトップのところではやりましたけど、じゃあ実際、そこまで考えてサッカーをしていたかということになると、そこまでないわけですよね。ただし、出会ったのが24歳ですから、もったいなかった」

 オフトはチーム戦術のみならず、技術指導も新鮮だった。当時のフォーメーションは4-3-3で、小林はトップウィングをやっていた。ここでオフトはウィングの抜き方や持ち方を教えてくれた。

「ステップだけじゃなくて肩を入れろ!」

 自身が左でドリブルして、ターンや方向を意識しながら、ボールを浮かして抜くところを見せてくれた。小林はトップとサイドをやってきたので、今西の言う「弾丸」よろしくスペースに走り込む動きはできていた。一方で、下りてボールを収めたり、ましてやターンをする動作は苦手であったが、この指導で体得していった。

 相手DFを背負った状態でターンができれば、一気に視野が広がってワイドに展開できる。実はここで小林が教わった楔(くさび)としての技量が、連綿と日本のストライカーたちに伝授されていったのである。

 まずは高木琢也。小林が現役を退いた後、コーチ1年目に高木がフジタから移籍してきた。

「あの当時、今西さんがサッカーも全体を動かす練習だけではなく、野球のように個人指導があってもいいんじゃないか、そういうことを言われたんです。お前はFWだったし、高木とは同郷だし、高木をストライカーとして育てるために個人指導してみたらどうなんだ、という提案をいただいたんです」

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