2015.12.06

【育将・今西和男】松田浩「ディフェンスが、こんなにもおもしろいとは」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   photo by AFLO

『育将・今西和男』 連載第15回
門徒たちが語る師の教え ナショナルトレセンコーチ 松田 浩(2)

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神戸、福岡、栃木で指揮を執った松田浩。現在はナショナルトレセンコーチ 松田浩は膝の故障が長引いたことから、1991年のシーズンを最後に現役を退いた。31歳のときである。コーチに就任することが決まり、翌92年になると母校の筑波大学へフィジカルコーチの勉強に行くことになった。1月から3ヶ月の予定で筑波に滞在する予定であったが、2月を過ぎた頃に今西から電話が入った。

「マツダの次の監督が来週成田に着くから、お前は研修を切り上げて迎えに行って、そのまま広島に連れてきてくれ」

 今西がスウェーデン遠征の際、実際にマッチアップし、そのユニークな練習を見て、高い評価を下したハルムスタッズBKの指揮官スチュアート・バクスターがビル・フォルケスの後釜に決まっていた。
 
 入社以来、松田が配属されていた海外営業部は新入社員に対して、朝6時45分からの英会話講座の受講を義務付けていた。教師はセレステという名前の女性で、当時三菱自動車がランサー・セレステという車を販売していたために、彼女はよく「私はセレステですが、マツダ自動車に教えに来ました」という挨拶で受けを掴んでいた。ユーモアのセンスも併せ持った美女が教えてくれるということで学習のモチベーションも上がり、松田は英会話をみるみるうちに習得していった。コーチ兼通訳ということでバクスターに付くことになった。