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【育将・今西和男】李漢宰「サンフレッチェ広島で世界観が広がった」 (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • 織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

 サッカーを始めたのが、高校2年生からということで、最も技術が伸びる小学生時代にボールを触っておらず、自分でもテクニックがないことはわかっていた。4歳のときに被曝した左足にはケロイドが残り、動きも不自由であった。しかし、そんなハンディを吹き飛ばすように、身体を張ったディフェンスと何者も恐れない勇猛果敢なスライディングは他を圧していた。練習中にアキレス腱や膝を何度も削られようが、立ち向かっていった。そんな新入生に声をかけた4年の先輩がいた。

「おい、オマエ、ちょっとポールを持って来い」。それが朝鮮人のリ・ドンギュウだった。「オマエはすごい勇気がある。でも、勇気だけではサッカーはできない。トラップとボールのコントロールを身に付けろ」

 それから、毎日マン・ツー・マンで今西に指導を施してくれたのである。ドンギュウはこれより5年前、東京朝鮮高校が高校選手権で全国3位になったときのキャプテンであった。そのテクニックは関東大学1部リーグの中でも出色で1年の時からレギュラーを獲得していた。18歳の今西は、そんな大先輩に入学前から個人指導を受けて感動していた。ドンギュウはその後、過労から結核に冒されて、西新井病院に入院するも、チームが2部に降格しかけるとベッドを抜け出して参戦。最後の法政大学との試合でゴールを決めて、教育大の一部残留の救世主となった。

「この先輩に学べば、自分がこれからもっと成長できるぞ、という実感が湧いた。ドンギュウさんが卒業されてからも教えを請いたいと思っていたもんじゃ」

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