【育将・今西和男】高木琢也「ナチュラルに選手の気持ちがわかる人」 (5ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締 役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格 に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める

高木琢也(たかぎ・たくや)
1967年11月12日、長崎県生まれ。国見高、大阪商業大を経て、フジタ(JSL)に入団。1年後、マツダに移籍して、プロ契約。1993年Jリーグが開幕し、広島―ヴェルディ川崎―札幌でプレーした。1992年日本代表に選出され、広島開催のアジアカップ決勝戦で、ゴールを決め、日本の初優勝に貢献した。2000年、現役引退。解説者などを務めた後、2006年J2横浜FCでコーチに就任。そのシーズン第1節終了後、前監督の解任に伴い、監督に昇格。そこからチームは15戦無敗。J1昇格を果たして、指導力が高く評価された。その後ヴェルディ川崎、ロアッソ熊本で監督を務め、2013年、V・ファーレン長崎の監督に就任した

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