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豊田陽平、ブラジルW杯と鳥栖監督交代を語る (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

 鳥栖の選手たちは極めて不利な状況に立たされることになった。

 それでも、彼らは愚直に戦い続けるしかない。

 監督が吉田恵に代わって以来、いくつかの変化があった。例えば敵チームのスカウティングやコンディショニングは理にかなうものになったという。豊田に与えられる仕事内容も同じではない。ユン時代は「前線で張り続け、ゴールを狙うポジションに入ることに集中する」のが役割だったが、二列目に落ちて中盤と連係するなど、ポゼッションやチャンスメイキングへの積極的な参加が求められることになった。

「今までは中盤やサイドに“降りる”チャンスがあっても、我慢していたんです」と彼は訥々と心情を吐露する。

「周りで作ってくれるのを待って、最後に仕留めることに専念していました。“点が取れる場所”というのはあるんです。でも、今は自分が動く分だけ、どうしても駆け引きで遅れてしまう。そこでベストのタイミングで仕掛けられない。しかし、自分がアシスト役になって得点を取れているのは事実です。それがうまくいっている間はそれでもいいのかもしれません。僕はチームのためにプレイしているので。ただ、ストライカーとしてはジリジリした思いもありますよ」

 エスパルス戦、ゴールを確信するようなヘディングシュートを彼は打った。ところが、頭に当てたボールはわずか数ミリずれていたのか。わずかに枠を逸れた。7月27日のセレッソ戦以来、得点がない。星稜高校の後輩である本田圭佑の「ゴールはケチャップのようなもので、出るときはどばっと出る」という台詞(せりふ)を彼は思い出した。

「あのシーンは最高のお膳立てをしてもらって“ゴールが見えていた”ので、決めなければならなかったですね。入るときは簡単に入るものなんですが」

 豊田は当惑を覚えつつ、厳しく自分を責めた。

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