出場機会0。ブラジルでの現実を受け止めた齋藤学 (5ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 2009年はトップチームに昇格してプロ契約を結んだ。サテライトゲームで試合経験を積み重ね、トップでのリーグ戦にも11試合出場。経験を積むことで自信を深め、野心的になっていた矢先だった。10月のサテライトリーグの試合で左ひざ半月板を負傷、全治6ヵ月と診断された。プロ2年目、半年に及ぶ離脱は痛手だった。

 そして2010年はリーグ戦でわずか5試合出場に終わってしまう。

「2010年W杯の頃は、ケガから復帰して居残り練習ばかりしていましたね」

 青年はそれほど遠くない昔を、懐かしそうに振り返る。

「2対2とか、1対1とか、点を取るまで終わらないので、内臓を吐き出しそうでしたよ(笑)。めちゃ、きつかったです。でも、やるしかなかった。自分のプロ2年目に(小野)裕二が入ってきて、全部をあいつに持っていかれたような気がしていました。それが悔しくて、とにかく必死でしたね。“このままマリノスに残っているだけではダメになる”と移籍を志願するようになりました」

 2011年1月、彼はJ2の愛媛FCへ期限付き移籍している。

「初戦は(コンサドーレ)札幌との試合でした。覚悟は決めていたつもりでしたが、精神的には不安でしたね。それでもなんとかアシストできて、2-0で勝ったんです。そのとき、マン・オブ・ザ・マッチに選んでもらって、『ニンジニア賞』というので20万円をいただきました。それは嬉しかったです! てっきり、点を取った人が受賞すると思っていたから。そうやって試合に出て自信がついていきました。だから自分にとって愛媛は、今も故郷のように感じるんです」

 試合を重ねることで、戦う力を身につけていった。イビツァ・バルバリッチ監督からは選手の中で唯一、プレイの自由を与えられていた。若手の才能を信じて抜擢できる指揮官に出会えたことは僥倖だった。

「バリバリッチとは未だに連絡を取っています。当時の通訳を介して『この前の試合(日本代表の欧州遠征)はおまえが出場していたら、ゴールを取れた』と勇気づけるメールをもらったり。感謝していますね」

 齋藤は愛媛でゴールゲッターとしての才能を開花させている。

「自分がやってきた選手の中では、ラス・パルマス時代に2トップを組んだ、アドリアン・コルンガに似ていますね」

 世界各国を渡り歩き、愛媛で齋藤とプレイした福田健二はそう説明していた。コルンガは、小柄ながら腰が強く、バランスを崩さずに強いシュートを打ち込むプレイに特長がある。負けん気も強い、典型的なゴールゲッターだ。福田が示唆していたように、本質的な部分で、齋藤はゴールゲッターの特性を持っているのだろう。

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