出場機会0。ブラジルでの現実を受け止めた齋藤学 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

「自分の持ち味はドリブルなんで。右でも左でも、出たら自分のプレイができるようには準備しています。外から見ていると、横の動きはそれほど速い選手はいないので、十分通じると思うし、バイタルに仕掛けてみたいですね。トヨ君(豊田陽平)がテレビの解説で『学を出したら面白い』とか言ってくれていたみたいで。そういう思いに応えられるように、僕は備えるだけです」
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 2013年12月、横浜。みなとみらいの赤レンガ倉庫にあるレストランで、齋藤学は悔しさを顔に張り付かせていた。

「Jリーグの優勝を逃した夜は、次の日もなにもする気が起きなかったですね。フードをかぶったまま、ずっとずっと、ぼぉーとしていました」

 齋藤は悔しさを思い出したようにうなだれた。

 所属する横浜F・マリノスは、「勝てば優勝」という条件で迎えた2013年シーズン最終節の川崎フロンターレ戦、あえなく敗れている。手の届くところにあった栄光は、呆気なくすり抜けていった。2004年にマリノスのボールボーイだった彼は、劇的な優勝の瞬間を目の当たりにしていた。それだけに、「今のサポーターや後輩たちにその気分を感じて欲しい」と意気込んだが、最後の最後で夢を果たせなかった。

 その挫折感は、想像以上だったという。

「お酒を飲んで憂さを晴らせれたら、楽になるんでしょうね。でも、僕はサッカーのことばかり考えてしまうから、飲む気にすらならないんです。ふさぎ込む気持ちをどうにかしたかったんで、"パワースポットに行こう"と思い立ちました。八王子の檜原村っていうところにある、岩が裂けた場所(神戸川上流にある高さ100m以上の岸壁)へ一人で車を運転して行きましたよ。道に迷いそうになって、カーナビを使いながら」

 齋藤は、身悶えするような感情の起伏を持て余していた。

<自分になにが足りなかったのか>

 自問自答を繰り返した。

「どうにかしてリーグ優勝したかった。残り2試合、どちらか勝てば決められたのに、どちらも負けて優勝を逃したことが、悔しくて仕方なくて。なんでもう少しだけ頑張れなかったのか」

 若者は渋面を作った。

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