【フットサル】木暮賢一郎「選手じゃない立場でやりたいことが出てきた」 (2ページ目)

  • 北 健一郎●取材・文 text by Kita Kenichiro
  • photo by AFLO SPORT

「もしもFリーグがプロリーグだったら、他のチームでやっていたかもしれない。僕自身は大学を卒業してから8年間、ずっとプロでやってきました。名古屋じゃないチームに行って何年かやってからっていう終わり方もあったと思うし、実際に正式なものではないですけど引退を発表した後に、いくつか他のチームから話ももらいました。でも、プロじゃない環境で自分がやることは考えられなかった。あまりネガティブにとらえてほしくないんですけど、今のフットサルがそういう環境であるということ」

 木暮がフットサルを始めた12年前は、プロチームどころか全国リーグすらなく、フットサル自体の認知度も極めて低かった。日本代表もバラバラのジャージを着て、大会の期間だけ集まる寄せ集め集団だった。フットサルの環境は10年前に比べればはるかに良くなっている。とはいえ、プロ野球やJリーグにはまだまだ及ばないのが現状だ。

「こうなったらいいなと思った未来があって、みんなが頑張ってちょっとずつ、靴をもらえるようになったとか、代表でやっと揃いのジャージが着られたとか、Fリーグができたとか、思い描いていたところに一歩ずつ近づいていって。僕にとってのフットサルの魅力は、スポーツとしての魅力はもちろん、何もないところから切り開いていくというのが楽しかったんですね。そうした過程を見てきた中で、この先のフットサル界をもっと良くしていくためには、選手じゃない立場でやれることがあると思うようになりました」

 2013年1月11日、木暮は今シーズン終了後の引退を発表した。しかし、木暮に試練が訪れる。ワールドカップ以降、名古屋のアジウ監督の構想から外れ、まったく試合に出られなくなってしまったのだ。出場時間0分の状態が続いた。

 怪我人がいても、試合の行方が決まっても、アジウ監督は頑なに木暮を出さなかった。普通なら、ふて腐れたり、キレたりしてもおかしくない状況だ。だが、木暮は耐えた。耐えるどころか、試合に出る可能性がないとわかっていても身体を動かし続け、ベンチから味方を鼓舞し続けた。

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