【Jリーグ】石川直宏「ポポヴィッチ監督の言葉に本能を刺激された」 (2ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

ポポヴィッチ監督と出会い、改めてサッカーに対する姿勢が変わったという石川。ポポヴィッチ監督と出会い、改めてサッカーに対する姿勢が変わったという石川。 2011シーズンの石川は、「ケガをさせずにシーズンを通して戦わせたいから、休ませながら起用する」と首脳陣に言われたような選手だった。いつからか、「ケガが多い」「体力的な問題がある」と揶揄(やゆ)されるようになっていた。尋常ならざるスピードも、諸刃(もろは)の剣とされた。

 しかし今、まとわりついていた脆(もろ)さの影はどこかに消え失せている。

 2012シーズンは日本代表、ゼロックススーパーカップ、ACLを含む公式戦全16試合に出場、12試合に先発(5月10日現在)。ほぼ週2試合のペースをこなす過酷な条件でも戦えている。

「最初は"肉体的にも精神的にもきついだろうな"とは思っていました。"あと一本ダッシュしたら、ニクバ(肉離れ)だな"と思う試合もあったんです。でも、それを乗り越えると、自分の体をうまくコントロールできるようになってきたんです。戦っていく中で自分の中でリズムができてきた。それは今まで経験したことがなかったことで、"試合に出続けることで自分がいい状態になるんだな"という発見なんです」

 まもなく31歳になる石川は、とても楽しげだった。2節の名古屋グランパス戦、3節のヴィッセル神戸戦では2試合連続得点。常時、前線に立つことで戦いの勘は鋭くなり、戦闘欲求が湧き出てきた。しかしその心境に達することができたのは、昇格のために1年間にわたり忍耐強い戦いをやり遂げたからかもしれない。

「(2011シーズンは)J2の試合で、負けられない重圧との戦いでした。目標はあくまでチームのJ1復帰、そのためだけにぶれずにやってきた。ただ、葛藤はありましたよ。"チームの力になりたい、でもベンチで過ごさざるを得ない"という状況でしたから。首脳陣にその判断をさせている自分の力不足を責め、チームが勝っても貢献できない不甲斐なさも味わいました。その悔しさがあったから、今があるんです」

 疾風迅雷(しっぷうじんらい)で敵陣を駆け、強烈なシュートをネットに突き刺す。予測を裏切る痛快なプレイが石川の原点だ。プロ選手として10年間以上を過ごしている彼は経験を蓄積し、成熟しつつあった。しかし、大人になることはおとなしくなることでもある。彼は自らの本能を呼び覚ましながら、けものの如き奔放さと老練さを兼ね備えた選手になる道を選んだ。

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