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日本代表定着へ、名良橋晃が鹿島アントラーズに移籍した本当の理由「不安と危機感でいっぱいだった」 (5ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 加茂が代表監督を解任されたあと、コーチの岡田武史がチームの指揮を執った。しかし、チームは上向くことなく、続くアウェーのウズベキスタン戦、日本に戻ってからのUAE戦と、ともに引き分けた。

 不甲斐ない結果が続いて、UAE戦後の国立競技場で一部サポーターが暴動を起こした。カズとサポーターとの間で一触即発の状態となり、チームバスがサポーターに取り囲まれて動けなくなった。

 バスのなかにいた名良橋はこのとき、サッカーをやってきて初めて恐怖を感じたという。

 それでも、名良橋が「ここからだとスイッチが入りました」と言う直後のアウェーの韓国戦を2-0と勝利。幸運なことに自力でグループ2位を得られる状況が復活し、最終戦のカザフスタン戦を5-1と圧勝して第3代表決定戦に進めることになった。

 相手は、イランだった。

(つづく/文中敬称略)◆名良橋晃がフランスW杯で痛感した世界との差>>

名良橋 晃(ならはし・あきら)
1971年11月26日生まれ。千葉県出身。高校卒業後、ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の前身となるJSLのフジタ入り。1994年にJリーグ昇格後も、チームの主軸として活躍。日本代表にも招集される。その後、日本代表への定着を目指して、1997年に鹿島アントラーズに移籍。1998年フランスW杯出場を果たす。鹿島でも攻撃的なサイドバックとして奮闘し、「常勝軍団」の一員として活躍した。2007年、古巣の湘南ベルマーレに移籍後、2008年2月に現役引退。国際Aマッチ出場38試合。現在はサッカー解説者、指導者として奔走している。

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