三笘薫、中村敬斗、伊東純也...サッカー日本代表で次々に出てくる名ウインガーの元祖は誰? (4ページ目)
【現在のテクニック系ウインガーの元祖は?】
杉山も奥寺もスピード系のウインガーだったが、テクニック系ウインガーとしては金田喜稔が日本を代表する存在だった。
1958年生まれの金田は、メキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得したあとにサッカーを始めた。その頃になると、海外の試合の映像がテレビで紹介されるようになっていたし、日本でも個人技を追求する指導者が現われていた。
金田が入学した県立広島工業高校監督の松田輝幸もそんな指導者のひとりで、その後、日産自動車や日本代表で金田とともに戦うことになる木村和司は高校の1年後輩だった。
中央大学2年の時に日本代表に初招集された金田は、韓国戦で釜本のアシストで初ゴールを決める。19歳119日。日本代表のAマッチでの最年少ゴール記録は未だに破られていない。そして、釜本はこの試合を最後に代表から引退した。
さまざまなフェイントを駆使した金田のドリブルは、対戦相手にとってはわかっていても止められないものだった。足も速かったが、金田はやはりテクニック系のウインガーであり、現在の日本代表のウインガーにつながる存在だった。
もうひとり、テクニック系ウインガーとして忘れてならないのが三浦知良(カズ)である。ブラジルでプロとなったカズは、Jリーグ発足直前の1990年に日本に帰国して読売サッカークラブ、のちのヴェルディ川崎(現、東京ヴェルディ)に入団した。
そして、周囲の要求に押されてカズは自らのプレースタイルを変えて点取り屋として知られるようになったが、ブラジル時代のカズはフェイントを駆使するテクニック系の左ウインガーだった。
もし、カズが帰国後もウインガーとしてプレーしていたら、いったいどんな選手になったのか? 僕は、時々そんな想像をしてみるのである。
著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。
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