鮫島彩がサッカー人生で経験した頂点とどん底の振れ幅「逆にそれがないと物足りない」 (3ページ目)
【好きなメンバーに囲まれて引退する】
――最後のチームとなった大宮で得たものとは何でしょう?
得たものというのとは違うかもしれませんが、自分のなかにザックリながらも理想の引退の形というものがあって、そのひとつは自分が好きなメンバーに囲まれて引退したいということでした。難しいけど、新規チームだからこそ、同じ境遇で同じものを乗り越えてきた、そのメンバーにしかわからない想いがあって、絆がある。そういう3シーズンでした。そんな仲間に囲まれて最後を迎えられたのは、自分のサッカー人生にとって大きかったなって思います。
ラストゲームでスピーチする鮫島彩 photo by Hayakusa Norikoこの記事に関連する写真を見る――ラストシーズンはいい流れが最初にあったからこそ、終盤はなぜそれができないのか、どうすればいいのかチーム全員が自問自答しているように見えました。
それはプロの世界としては当然のものとしてありました。好きなメンバーに囲まれて引退したいと言いつつも、それは自分の根本的なものですから。プロとしては常に勝ちたい、勝たなきゃいけない、ファンファーストというのが一番だったし、そういった意味では苦しいシーズンでした。
――最終節は90分間で一瞬たりとも引退の感傷とかはなかったですよね? プレー中も、ちょっと時計が止まれば近くの選手と意見交換する姿にも、全くブレがありませんでした。
だからこそ、やっぱり悔しいですよね。ただただホームで勝ちたかったです。
(つづく)
(1)鮫島彩の高校時代「3日に1回は辞めたい!って思ってた」>>
(2)鮫島彩が2011年W杯優勝のなでしこジャパンで思ったこと>>
(4)鮫島彩からパリオリンピックを戦うなでしこジャパンへエール>>
鮫島 彩
さめしま・あや/1987年6月16日生まれ。栃木県出身。常盤木学園高校から2006年に東京電力女子サッカー部マリーゼ入り。2011年からはボストン・ブレイカーズ(アメリカ)、モンペリエHSC(フランス)でプレーし、2012年に日本に戻ってベカルタ仙台レディースに入ると、INAC神戸レオネッサ、大宮アルディージャVENTUSとチームを変えて長くプレーを続け、2023-24シーズンをもって引退した。2008年よりなでしこジャパンに選ばれ、優勝した2011年を含め、女子W杯に3度出場。
著者プロフィール
早草紀子 (はやくさ・のりこ)
兵庫・神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサッカーを撮りはじめ、1994年からフリーランスとしてサッカー専門誌などに寄稿。1996年からは日本女子サッカーリーグのオフィシャルカメラマンも担当。女子サッカー報道の先駆者として、黎明期のシーンを手弁当で支えた。2005年より大宮アルディージャのオフィシャルカメラマン。2021年から、WEリーグのオフィシャルサイトで選手インタビューの連載も担当。
【写真】鮫島彩インタビューカット&今昔フォトギャラリー
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