鮫島彩がサッカー人生で経験した頂点とどん底の振れ幅「逆にそれがないと物足りない」 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

【大宮にはINACとは違う楽しさがあった】

――初のプロリーグであるWEリーグでは、新規チームである大宮アルディージャVENTUSでの挑戦を選びました。これはINAC移籍の時より驚きました。

 INACは環境的にも慣れてるし、代表活動を考えたらそのまま残るほうがベストだったのかもしれません。だけど、大宮は新規チームでゼロからのスタート。大変そうだと思ったし、実際に大変でした(苦笑)。ほかのチームでなかなか出場機会がない選手や、ほかのカテゴリーで頑張っていた選手の集まりでした。だからこそINACとは違う楽しさがありました。

――そこで『87メンバー(1987年生まれの仲間の愛称)』の面々(有吉佐織、上辻佑実、阪口夢穂)と再会を果たしました。「新規チームだから来た」と、87組はほぼ全員そう言っていた気がします。今、ここにいる自分たちしか味わえないことだと。生みの苦しさのほうが大きいように見えましたが、その苦しさがいいんでしょうか。

 マリーゼがあったら、ずっとマリーゼでやっていたと思うんです。いろんな想定外のことがあって、(ワールドカップ)優勝とかもさせてもらって輝かしいこともあれば、どん底もあった。それだけ振れ幅があるサッカー人生を経験してきちゃうと、逆にそれ(振れ幅)がないとしんどいんですよ。ちょっと物足りないというか。常に新しいストレスが欲しい! ってなる。ストレスってマイナスなことばかりじゃないですから。

――それを打ち破るパワーが出てきますからね。そんなストレスを全部笑い飛ばすパワーが、鮫島さんたちのすごさだと感じます。

 何があっても、楽しく乗り越えようっていうのは決めていました。また全く違う壁に出会った時、今度はいかに楽しく乗り越えるかを大切にして、この先いろいろ経験したいなって思っていたんです。それを叶えるための、最高のメンバーが大宮には揃っていました。

――87メンバーでは、お互いの進む先についてあまり話をしないんですよね?

 そういうのは一切しないですね。

――時間の限られた代表活動ではなく、クラブのチームメイトとなった87メンバーとの日々はいかがでしたか?

 それはもう、87メンバーがいなかったら、この3シーズンは乗り越えられなかったと思います。本当に楽しかった! でも87メンバーだけでなく、ほかの選手たちも同じようなマインドの人が多かったんです。もっとネガティブになってもおかしくない状況でも、みんなネタにしちゃう。笑っていた記憶のほうが多いです。

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